カテゴリー「真間川のほとりで」の記事

2018年5月 6日 (日)

かなえば、かなう

 5月2日から4日まで全国総会が行われた。二年に一度開催される総会は、今年28回を数える。ルーテル教会の宣教は1893年に開始されているので、総会が「28回目」というのはおかしいと思われるかもしれないが、第二次大戦中の教会合同(日本基督教団として成立しルーテル教会は第五部に所属)、戦後の教団離脱やルーテル諸教会との合同協議などを経て、現在の日本福音ルーテル教会(東海ルーテル教会とのみ合同)が創立したのが1963年、そして第一回の総会が開かれたのが1964年であったために、今年が数えて28回目となるのである。(ちなみに私は1984年第11回総会から出席しているので、ほぼ三分の二の総会の記憶がある筈だが……。)
 さて、今年の総会では「改定式文曲の承認」の議案説明の役割を担っていたので、事前配布の資料にゆっくり目を通すこともなく出席した。教区常議員として受付の手伝いをしていた時、隣りの北海道特別教区出席者の名簿の中に、帯広教会代議員の名前を見つけた。私が帯広在任中は三種教会(現住堅信会員20人以下)であったので、総会での帯広教会代議員は準議員扱いとなり議決権もなく交通費も支給されないために、出席を見合わせざるを得ない状況であった。いつしか「代議員さんに200人で歌う賛美の声を生で聞かせてあげたい。」というのが私の夢となっていた。「もし出席されたら20数年経て、私の夢が叶うのだなぁ」と思いながら受付に立っていた。
 ラザロが死に悲しみにくれる中でマルタはイエスに会い「あなたが神にお願いになることは何でも神はかなえてくださると、わたしは今でも承知しています」(ヨハネ11:22)と告白した。イエスは「わたしを信じる者はだれも、決して死ぬことはない。このことを信じるか。」(同11:26)と問い返された後、ラザロを生き返らせてくださった。マルタの願いは「主の目にかなう」(王上15:5)ことであったからである。願いは全て叶うのではなく、願いは「主の目に適えば叶う」ことを、聖書の中の信仰者たちを通して知ることができる。
 総会に帯広教会の代議員さんは初めて出席された。「先生、大勢で歌う讃美歌は素晴らしかった!」と感想を述べてくださった。そのひと言は、神様が「改定式文曲協議の準備、ご苦労様」と言ってくださっているかのようであった。「主の目に適えば叶う」ことを、神様はほぼ30年の月日をかけて教えてくださった。

2018年4月29日 (日)

次世代へ繋ぐ

 「お前たちは死体となってこの荒れ野に倒れるであろう。わたしに対して不平を言った者、つまり戸籍に登録をされた二十歳以上の者はだれ一人、わたしが手を上げて誓い、あなたたちを住まわせると言った土地に入ることはない。ただし、エフネの子カレブとヌンの子ヨシュアは別だ。」(民数記14:29-30)モーセに率いられエジプトを出たイスラエルの民は、約束の地カナンを目指した。12人が偵察に向かい、40日後にブドウの枝を担いで帰ってきたが、10人が悪い情報を流して、行くことを阻止した。神は怒り、冒頭のことばをモーセとアロンに告げた。こうしてイスラエルの民は、荒野を40年間彷徨うこととなった。つまり、荒野に入った時の「世代」ではなく、次の「世代」に約束の地カナンを委ねるということであり、新しい世代が次を担っていくことは今の時代も変わらない。
 来週、全国総会が行われる。議案の一つに、「改定式文の礼拝曲承認」がある。4年前に4人の方に作曲及び編曲を依頼し、訂正などを経て、今回の総会に提案となったものである。私はこの作業の取りまとめを依頼されたので、作曲家との連絡をはじめ、デモンストレーション用の音源を造り、改定式文に典礼曲を加えた試案の作成を行なった。音源作りには、市川教会の有志が協力してくださり、今年4月に全国に配布することができた。式文はルーテル教会の信仰を最もよく表していると私は確信している。だから私が引き受けた作業も、次の世代が心地よく歌い継いでくれることを願いながら労を惜しまず行った。この作業に携わろうと思った理由もそこにある。
 だが、もう一つの理由がある。現在使用している式文のデモテープを神学校の聖歌隊で作成することになり、神学生であった私が司式者として歌った。あれから約40年、牧師になる前に新しい式文に関わり、定年まであと数年となって再び新しい式文に関わり、デモンストレーションの音源を作成することになろうとは、これほどの「不思議」はあるまい。いやいや、これこそ神の摂理・・・とは大袈裟だが、ともあれ、一介の平凡な牧師だが、ほんの少し教会に(神に)ご恩返しできると嬉しく作業をさせていただいている。
 総会を経て新しい式文が用いられ礼拝を豊かにしてくれるよう願ってやまない。

2018年4月22日 (日)

根っ子

 今年も教会の庭には花々が咲いて春を告げてくれた。3年前に会堂前面の外塀工事を行なった。以前はチューリップの咲く花壇もあったが全て撤去した。ところが昨年、全く手を入れてないのに一輪咲き、今年も咲いた。工事作業をかいくぐって、しぶとく土に紛れて根を出してくれたものだろう。逆に、期待していたが芽を出さない花もあった。昨秋に長崎で行われた「宗教改革500年記念」の際、参加者に配られた「被爆球根ハマユウ」である。帰宅後、失念していて植えたのが十日後だったからだろう。申し訳ないことをしてしまったと思う。球根とて生き物。根を張る環境を作ってあげなければ、芽を出さなかったとしても当然のことだろう。
 「感じる心・楽しむ心・生み出す心」これは未来をつくる人になるために必要な三つの心として、長野県で「暮らしの学校・だいだらぼっち」という山村留学を実施しているNPO法人グリーンウッドが掲げているものである。その意味については次のように説明されている。「どんな立派に葉を茂らせている木でもねっこが弱ければ、嵐や災害で倒れてしまいます。昨今は、スキルやテクニックの力ばかりを伸ばしている風潮はないでしょうか。学力があっても自立できない。体力、行動力、段取り力など身に付けても、その力を人のために使うのか、それとも・・・。身に付けた力を発揮するには、正しく使うための心が必要です。こどもたちの人生も親から手を離れ、1人で船出をするためには、太く、長い丈夫なねっこを持つことが大切です。しっかり育ったねっこの分だけ、木は枝を伸ばし、葉を茂らせ、実を生らせます。人生を生み出していくこと、身に付けた力を社会のために使うこと。それには、「感じる心」、「楽しむ心」、「生み出す心」が必要なのです。」(以上、グリーンウッド自然体験教育センターHPより)根っ子を付けた人生、それを人のために使うことを喜びとする生き方をして欲しいと願っておられるのではないだろうか。
 「わたしは植え、アポロは水を注いだ。しかし、成長させてくださったのは神です。」(1コリント3:6)神は私たちに信仰という根っ子を与えてくださる。その根は隣人の思いを感じさせ、平和が生み出す喜びを与え、希望を生み出す力になっていくのだと思う。与えられた根っ子が、常に私たちを成長させてくれることに感謝したい。
 山村留学を経た子どもたちが、豊かな未来を創り出してくれるよう願っている。

2018年4月15日 (日)

ワーキングメモリー

 最近、度忘れすることが多い気がする。言葉が出てこない、名前を思い出せない、その日の予定を忘れてしまう。内心では「こんなはずではない!」と、もどかしく思う自分もあるし、「認知症が始まったか」と危惧する自分もいる。どちらにせよ「もう若くないんだから仕方ない」と結論付けて、考えないことにしているのが今の私にほかならない。
 「認知心理学では『ワーキングメモリー』という構成概念が用いられている。脳の前頭前野の働きの一つであって、作業や動作に必要な情報を一時的に記憶し処理する能力で、私たちの行動や判断に影響しているものだ。その役割は、入ってきた情報を脳内にメモ書きし、どの情報に対応すればよいのか整理し、不要な情報は削除することである。例えば、私たちが会話ができるのは、相手の話を一時的に覚えて(記憶)、話の内容から相手の意図をくみ取り(整理)、話の展開に従って前の情報をどんどん忘れる(削除)という作業を無意識に行っているからであり、このような情報処理の流れは、読み書き、運動、学習等、日常における様々な活動に関わっている。」(以上HP「りたりこ発達ナビ」より引用)このことから言えば、私の場合は「入ってきた情報の整理がうまく出来ず、必要な情報まで削除するようになってしまっている」状態と言えるのかもしれない。
 福音書が書かれたのはイエスの復活後30年程たってからである。(それ以前に書かれたものもあるのかもしれないが、発見されるには至っていない。)誰かのメモ書きを参考にして書いたものでもないだろうし、口頭で伝えられていたことや人々の記憶の中にあるものがまとめられたものである。その際、人々の脳の「ワーキングメモリー」にあるものが書かれまとめられていったと想像することはできる。刻まれた「主が語ってくださったこと、主が行われたこと、何よりも私に向けてくださった優しい眼差し」が、復活後に繰り返し語られていくことによって「福音」として整理され、文書に残されていったと考えることができる。だから脳の「ワーキングメモリー」の働き無くしては福音書もなかったのではないだろうか。
 これからも更に「整理できず、削除してしまう」私なのだろうけど、必要なものを削除しないよう前頭前野を鍛えたいが、その方法はないという。困ったものだ。

2018年4月 8日 (日)

背中を擦って

 新年度が始まった。新一年生、新社会人の姿が目に入る。新生活に希望を持ち、胸に抱いた夢に向かって、堅実で楽しい毎日を過ごして欲しいと思う。勿論彼らに限らず、この時期は何となくだが新鮮な気持ちになる。年度替わりという節目が気持ちを入れ替えさせてくれるからである。しかし、全ての人がそうであるとは思わない。不安な面持ちで新年度を迎える人もいるだろうし、一歩を踏み出すことに躊躇している人もいるだろう。
 今年1月、昨年(11月まで)自殺した19歳以下の子どもは516人と発表された。いじめ、教員の不適切な指導、詳細への不安等々、本来は希望をもってノビノビと過ごせる筈の年代で、自ら命を絶つという選択をせざるを得なかった子どもたちのことを思うとやるせない。親御さんや関係者の方々も無念で仕方ないだろう。精一杯親として背中を押してきたのだろうに・・・。しかし、押される子どもには、それが重圧にしかならないとすれば、「背中を押す」ということでは表現できない別のことが必要なのではないだろうか。
 「ここにはいない」と空の墓の中で若者(天使)に告げられた婦人たち。使徒たちにはたわ言のようにしか聞こえなかった。真偽を確かめに墓にいったペトロからも「墓は空っぽだった」と報告を受けたことだろう。それでも彼らは「イエスの仲間だった」として捕らえられることを恐れ、家の戸に鍵をかけ身を寄せ合っていた。そこにイエスが来て、彼らに手とわき腹を見せてくださった。その場にいなかったトマスにも現れ「信じる者になりなさい」(ルカ20:27)と声を掛けてくださった。また聖書には記されていない多くのしるしみせてくださったが、それは「40日にわたった」(使徒1:3)という。(荒野の40日の誘惑、出エジプトからの40年を思い出す。)復活して直ぐに彼らに聖霊を送り、宣教の場へと背中を押したのではなく、多くの人々にしるしを見せ、背中を擦ってくださったということではないか。特に、三度否認したペトロや逃げ出した弟子たちには、「もう良いよ」と背中を擦ってくださったからこそ、福音を大胆に語る力となったのではないだろうか。
 「もう良いよと背中を擦ってあげる」心構えを持ちつつ子どもの背中を押していたら、自殺を踏み止まってくれる子どももいたのではないだろうか。

2018年4月 1日 (日)

続もう、いない

 今年のイースターは年度始めと重なった。牧師になって初めての経験である。だから昨日の第五土曜コンサートの際、「4月1日がイースターで、3月31日が土曜日になるなんて、これから生きている間に経験することはありません」と言い切ってしまったが、調べてみると2029年も4月1日がイースター!あと11年しか生きられないと言い切ってしまったようなもの。次回、訂正しておかなければ!それは兎も角、チャプレンを務めている保育園では、昨日まで年長だった子どもは「もう、いない」。寂しくもあるが、しかし成長の証し。「もう、いない」は嬉しいことでもあるのだ。
 「タイムマシンに一度だけ乗れるとしたら、どの時代のどこに行きたいか?」以前読んだ本にそんな文章が乗っていた。著者の答えは「キリストの復活の朝、墓から出る瞬間のイエスをみたい」であった。聖書には、復活の朝、人々が目にしたのは空の墓であり、白い長い衣を着た若者に「ここにはおられない。」(マルコ16:5-6)と告げられたことが記されているのみであるから、その瞬間を見てみたいと思うのも無理からぬ面があるし、うがった見方をすれば、「本当に主は復活なさったのか」という疑念を晴らしたいという思いもあるのかもしれない。
 主が十字架に付けられ、死んで墓に葬られ、その上、墓から死体も無くなったということによって、弟子たちの悲しみや恐れも心の中に広がったことであろう。まさに「心が折れた」状態ではなかっただろうかと想像する。しかし、その彼らが再び弟子として宣教の最前線に向かっていくことが出来たのは、取りも直さず復活の朝に語られた「ここにはおられない・・・もう、いない。」という出来事(言葉)であった。心を折られた弟子たちだったが、「イエスこそ救い主」と力強く語り始め、「あなたがたは行って、すべての民をわたしの弟子としなさい。」(マタイ28:19)ということのために、迫害をも恐れず宣教の歩みを続けていった。弟子たちの姿を知るだけで、キリストが墓を出る瞬間を見なくても私には十分だと思えてならない。
 「わたしは世の終わりまで、いつもあなたがたと共にいる。」(マタイ28:20)と主はまた言ってくださってもいる。だから「ここにはいない」は「いつも一緒にいるために、ここ(墓)にはいない」のであって、復活の朝の今日、その主を喜んで迎え入れようではないか。

2018年3月25日 (日)

もう、いない!

 3月は異動の時期。ルーテル教会でも何人かが異動することになっている。今年5月の総会では、総会議長が2年3期の任期を終えられるので、事務局長も誰かと交替する。先日、現事務局長S師に、「総会が終わると何処に異動になる?」と聞いたら、「佐賀です。」と答えが返ってきた。私は直ぐに「佐賀なら実家に帰った時に遊びに行くよ」と言いかけて、ハッとした。三人の子どもを育てながら終の棲家とした両親の家は無いのだと。次男の結婚式が二日後と迫っていた日に母は吐血して息絶えた。生前の母に「サヨナラ、ありがとう。」という間もなかったあの日から1年。「もう、いないんだ」が、少しずつ心の奥底で膨らみを増してきている。
 3月は東日本大震災を強く意識する時。あれから7年、家族を失った人々が悲しみに耐えつつ復興に全力を注ぐ姿が報道される。ここ市川でも数回の計画停電、放射能汚染の不安など、3月になるとあの時期の様々な記憶が蘇ってくる。しかし私には震災によって失ったものはないが、全ての物を失った人々、大事な家族を奪われた人々は、今も多くのトラウマを抱えつつ生きておられるのだろう。何よりも父を、母を、兄弟を亡くした子どもたちが「もう、いないんだ」と呟く姿を、私たちがこれからも忘れないことで寄り添い続けていきたい。
 主が十字架に付けられ復活されるまでの丸二日間、弟子たちの胸中は如何なものだっただろう。それを知る由もないが、「この人は、あの人たちの仲間です。」(マルコ14:69)と指摘されたことをペトロから聞き、街中を歩くことも出来ず、ひたすら部屋の中で怯えて過ごしたことだろう。疲れた自分(弟子)たちを労り励ましてくださった姿、律法学者たちにも毅然とされていた態度、子ロバではあったがエルサレムに入城した時の人々の歓迎、神殿で商売する人々を非難し鳩や山羊を追い出した力強い姿、常に彼らの盾となってくださった主を思い起こしつつ「もう、いないんだ」と、誰彼となく呟いていたのではなかっただろうか。
 しかし、「もう、いないんだ」と呟いてしまうのは、たくさんの思い出が、それも楽しく素敵な思い出があったからでもある。寂しさは、もう二度とその人と思い出を作れないことにあるのかもしれない。「もう、いないんだ」だけれども、繰り返し思い起こせる記憶の中には「ずっといる」のだから、元気を出さなくちゃ!

2018年3月18日 (日)

特例

 10年程前、国府台保育園隣接地が更地になったので購入を計画した。国所有の土地であったが千葉県警の官舎になっており、老朽化で解体を機に売りに出されたからである。保育園の改築計画もあり、道路に面した場所でもあったので何とか手に入れたいと願ったが、問題は価格である。土地実勢価格を調べると、到底手が出ない額になってしまう。当時理事長であった私は、管理している関東財務局に出向き、「社会福祉法人の用途にしたいので考慮してもらえないか。」と嘆願した。その言葉の裏には「子どものために奉仕の心で働いているのだから、少しは価格を下げてもらえないか。」という思いも込めて願ったのだが、財務局の担当職員の口から出て来たのは「社会福祉法人の用途に供するという限定であれば、優先して契約します。それ以外の優遇はありません。価格も教えられません。」という答えであった。職員の顔には「何をどのように願われても答えは変わりませんよ。」と書いてあるようでもあった。あくまで法規、前例にのっとって行うことが平等であり、特例ということは彼らの思考にはないということは明白だった。
 財務局から落胆して帰るしかなかったが、手に入れたいという思いは強く、更に協議を重ねた。苦悩の日々は続いたけれど、財務局は私たちには書類を書いてくれなかったし、地中にゴミが大量にあって撤去費用が莫大になる分値引きするというアイディアもくれなかった。しかし、丁度リーマンショックで土地の価格が下がり、医療機構から借り入れして購入できることになった。優先期限最終日に契約することとなったが、手付金数百万円を現金で支払う必要があった。手違いもあって現金引き出しに手間取り、締め切り前数十分というタイミングで財務局に手渡せたが、遅れていたら競売に掛けられ、法人所有とはならなかったかもしれない。当然のことだが最後まで私たちに「特例」が適用されることはなかったからである。
 「神はひとり子をお与えになったほどに、世を愛された。」(ヨハネ3:16)人間を救うために神様がなさったことは、まさにただ一度だけの「特例」であった。この「特例」は神のためでもなく、また特定の個人のためでもなく、命ある者の全てが喜んで「今」を生きることができるようにと与えられたものであったことを、今年の四旬節に強く心に刻みたい。

2018年3月11日 (日)

思い届かず・・・だが

 1月のある日、研修に出かけ帰宅途中の妻から電話、「自転車のカギを失くしたので、自転車を運びに車で迎えに来て欲しい」と。急いで迎えに行き帰宅した妻が「古くなって不都合もあるから、この機に買い替えようかな?」と呟いた。翌々日、保育園に行く際、私の自転車に乗って出かけた。私は心でニンマリ笑いながらも普通の顔で「行ってらっしゃい!」
 実は私の自転車はかなり古い。あちこち錆び付き、後輪ブレーキは派手に「ギィ~~」と叫ぶので使用できない。ペダルを踏むたびにチェーンがカバーに当たり「カチャカチャ」と鳴る。前を歩いている人も、後方から私が乗る自転車が分かるので、ベルを鳴らす必要はない。そのベルも鳴らなくなっているが、必要は感じない、「カチャカチャ」音があるから!妻が乗って帰宅したら、きっと言ってくれるに違いない「あなたの自転車は私のよりも酷いね、買い替えたら!」
 夕方、妻が帰宅した。いよいよ買い替えご推奨の時間だとワクワクしながらも表向きはいつもの私で。「あなたの自転車も酷いね。」私は、そうそうとニンマリしながら次の言葉を待つ。「あなたの自転車に比べたら、私の自転車は充分乗れる!」新品の自転車の夢は羽を付けて飛んで行った。
 私たちは願う、あらゆることで。時には祈りの中でも様々な願いを神にする。その意味では、私の祈りは願いばかりだ。小さいことから大きなことまで、更には欲深い願いも・・・。それでも忘れていないことがある、最後に「神様のみ旨に叶うなら」という祈りを付け加えることを。私が取捨選択するのではなく、神様が、み旨に叶い私にとって最も良い道を示してくださるはずだからである。だから安心して、これからも祈りの中で「何でも」願い続けていきたい。
 自転車買い替えという私の些細な願いは砕かれてしまったが、後日、妻が休みの日に私の自転車を自転車屋に持ち込み修理して来てくれた。妻の休日を失くすほどに私の自転車が酷いものだったということかもしれないが、お陰で後輪ブレーキも利くしペダルもスムーズ。思いは届かなかったが、違う形で叶えられたということなのだろう。ただし、「カチャカチャ」音が無くなったので、鳴らないベルの代わりに「スミマセン、通してください」と声を出す機会は確実に増えた。

2018年3月 4日 (日)

イタイのイタイのとんでいけ~

 呪い(まじない)だと思っていた、「イタイのイタイのとんでいけ~」って!
 50年前、二人の学者が、痛みのメカニズムについて「痛みをコントロールするゲートがある」ことを説いた。ゲートコントロール理論と称され、痛みの研究に新しい時代を開いたと言われている。「体の部位への刺激は神経を通り、途中のT細胞を促進させて脳に痛みを伝達する。神経には抑制介在ニュートロン(神経)があり、太い神経を刺激すると抑制ニュートロンが促進され、T細胞は痛みを抑制して脳に伝達し、逆に細い神経を刺激すると抑制ニュートロンは抑えられてしまい、T細胞は痛みを増幅して脳に伝達する」というものである。電気治療はこれを利用し、痛い部分を刺激することで抑制介在ニュートロンを促進させ、T細胞というゲートが「痛くないぞ~」と伝えさせるようにしているということになる。だから、「イタイのイタイのとんでいけ~」と言いつつ擦ってあげることは、言葉で心が和み、擦られることで神経が抑制されるという、実に理に適った対処法なのだ!
 ユダの手引きがあって大祭司の配下の者たちがイエスを捕らえようとやって来た。イエスの周りにいたある者が、大祭司の手下に打ちかかり、右の耳を切り落とした時、イエスは「やめなさい。」と言われ、耳に触れていやされた。(ルカ22:47以下)どんな癒しをされたのだろうかと思っていた。不思議な力を発揮して耳を元通りにしてあげたとすれば、「奇跡」として弟子たちは記憶し聖書にも書き残しただろう。もしかしたら奇跡に驚いた群衆は「十字架につけろ」などと騒ぐこともなかったかもしれない。しかしそのようなことは起こらなかった。イエスは「触れた」だけであった。まさかその時、「イタイのイタイのとんでいけ」と言われたとは思わないが、少なくともイエスが触れてくださったことで痛みは和らいだはずである。だから聖書には「いやされた」とだけ記されているのではないだろうか。
 母が亡くなって間もなく一年になる。共稼ぎの姉夫婦の子どもたちを母は良く預かっていたが、たまに帰省した時に、「イタイのイタイのとんでいけ~」と言って孫を擦ってやっていたことを思い出す。私自身は母からそのようにしてもらった記憶はないが、私にも「イタイのイタイのとんでいけ~」と言いながら擦ってくれたかどうか、天国に行ったら聞いてみよう!

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