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2018年7月29日 (日)

山に登る

 久しぶりに山に登った。船橋の青い鳥ホームの学童キャンプに同行し、最後のプログラムが「高尾山登山」。当初は低学年に付き添い、ケーブルカーを利用した行程だけだったが、状況が変わり高学年の行程に同伴することになったからである。
 標高599mの高尾山は、年間300万人も登山客が訪れる世界一の山である。これは富士登山の10倍の数なのだという。10数年前、曽谷寮の学童キャンプで高学年の子どもたちと一緒に「1号路」と言われる最もポピュラーなコースを登山したことがあった。その時の記憶にあるのは、険しい山道ではなく頂上で子どもたちと一緒にアイスクリームを食べた楽しさだけが残っていた。それもあって、急遽の変更にも、「良いよ!」と気軽に返事して挑んだ高尾山であったが……。
 なだらかな坂道を二、三〇〇m過ぎた辺りから道は険しくなる。子どもたちとの距離は開くばかりだが、足が進まない。以前とは違うぞと感じたので、焦らずマイペースを心がける。子どもたちは私を気遣ってくれているのか、姿が見えなくなると休憩し、私を待ってくれている。私は休憩無しでひたすら歩き続ける、休憩すると反動で足が動かなくなると第六感が叫んでいたからだ。それでも数回足を止めたが、全長3.8㎞の行程をなんとか登り切った。子どもたちを見守る筈だったが、子どもたちに見守られての山登り。体力に関して「未だ若い」という思いとは、どうやら「さよなら」する時が来たようだ!
 登山しながら、聖書に記されている「山」に関する様々な出来事や人々のことに思いを巡らした。特に、神の命により息子イサクを連れて山道を歩いたアブラハムは一体どんな思いで山道を歩いたのだろうか。「彼を焼き尽くす献げ物としてささげなさい」という非情な命令に従わざるを得なかったアブラハムは、険しい岩山の道を、息子イサクを連れて登っていった。「神が備えてくださる」と言いつつも、一方では何の確証もなかった筈である。彼に残されていたのは、「神に委ねる」ことだけであった。険しい山道は、人の思いを取り除く「神の試みの道」なのだろう。
 今回も山頂でアイスクリームを食べたけれど、記憶に残ったのは「険しい傾斜道、不摂生な生活の私には無理!」であったが、神様はきっと「無理なく年相応に生きなさい」と言われているのかもしれない。

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