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2018年6月24日 (日)

どんな顔?

 ネットで検索機能を使うと、様々な情報を手に入れることができる。全てが有益という訳ではなく、また真贋の問題もある。それでも検索機能を利用することは多く、このエッセイを書き続けられているのも、ネット検索が出来なければ続けられなかったと思う。もちろん、情報の正確さのためにいくつもの記事を見るし、盗用にならないように気を付けながらの作業は最低限必要と心得ているつもりだ。
 10日前、歴史的な米朝首脳会談が行われた。終了後北朝鮮では、写真付きでその模様が掲載された労働新聞に、街中で人々の見入る様子が報道された。「アメリカ大統領はどんな顔をしているのか?」という会話も同時に報道されていた。大統領の映像を見かけない日は無い私たちの日常と、如何にかけ離れた状況に置かれていることか!大統領の顔の情報も与えられていない国に「非核化の替わりに体制を保証する」というのは、個人的には如何なものかと思ってしまう。
 「どんな顔」と言われて私たちは、「笑顔なのか?悲しい顔か?疲れてないか?」等と思う。数年前のこと、真間川沿いを歩いていた時、年配の男性とすれ違った。フトその方の顔を見た瞬間、私の気分が「ホッコリ」したことを今でも鮮やかに思い出す、実に穏やかな顔をされていたからである。どんな生活・生き方をすれば、見ず知らずの私にまで穏やかな気持ちにさせる表情が出来るのだろうと暫く考え実行してみたが、「人を穏やかにさせる顔」が出来ているかどうかは今も不明である。
 荒野でサタンから誘惑をお受けになった時の主は、どんな顔をなさっていたのだろう。「嵐よ、静まれ」と船上に立って叫ばれた時は?子どもを祝福された時、ゲッセマネの園で祈られていた時、そして十字架の上では?それぞれの場面で、喜怒哀楽の表情を見せておられたのだろうか?「いつも喜んでいなさい。絶えず祈りなさい。どんなことにも感謝しなさい。これこそ、イエス・キリストにおいて、神があなたがたに望んでおられることです。」(1テサロ5:16~18)いつでも、どんな時でも、イエスは穏やかで人を和ませる顔をしておられたからこそ、私たちにも主に倣って穏やかな顔で生きていくことを、神は望んでおられるのである。神への信頼が、私たちの顔を穏やかに作ってくれる筈である。
 さて、今日の私は皆さんには「どんな顔」に映っていただろうか?

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