« 危機管理 | トップページ | そう言えば、父の日 »

2018年6月10日 (日)

記憶力

 先週の日曜日は、諏訪教会での初めての礼拝。午後3時からの礼拝には12名の方が出席され、窓外の諏訪湖を一望しつつの礼拝であった。礼拝後、皆さんと歓談し、予定の列車の時刻まで数名の方とレストランで夕食。市川駅に着いたのは午後10時過ぎであった。駅ビルで買い物をして支払いをしようとしていた時に気付いた「財布がない!」と。とりあえず小銭入れのお金で支払いを済ませ、帰宅を急ぎながら、どうして無くなったかと記憶を辿る。列車に乗る時に、「財布はかさ張る」と千円札二枚を小銭入れに移し、財布はバッグにしまった筈。しかし新宿駅で降りる際、網棚のバッグを降ろした際にチャックが開いていたので閉めた筈。座席や歩行中に落としたなら、音がするから気付く筈。となると、網棚にバッグを乗せた時にそこに落ちたという結論しかない筈。私の記憶は「新宿まで乗ったスーパーあずさの2号車D席の網棚」と叫び続けていた。帰宅して直ぐに新宿駅の忘れ物センターに連絡するが「車庫に戻り車内清掃しているので、明日の夕方には分かります」とのこと。
 翌日から三日間、朝夕同センターに問い合わせるが「残念ですが、お尋ねの品物はありません。」とオウム返しの返答のみ。四日目午前中に再度問い合わせても同じ返答なので、ついに諦めて交番へ出向き「遺失物届」を提出した。「財布の中の現金はどこかの誰かがニンマリしながら使ってしまっただろうけど、クレジットカードは停止し、保険証も遺失物届を出したから被害は最少限に止められている筈」と気持ちを切り替えることにした。ところが数時間後、事務局から「諏訪警察署から連絡をくれるようにと電話があった」旨の連絡が入った。諏訪警察署に連絡すると「レストランの方がお財布を届けてくださった」とのこと。現金は小為替で、財布は着払いで郵送するということであった。電話を切った後、思い込みの記憶とは違い、「お札を入れたのは諏訪教会の控室、レストランに行く際に財布をポケットに入れた」という記憶が鮮やかに蘇ってきた。
 今回の事で、記憶は曖昧で自分勝手に作られるものであることを痛感したが、同時にきっかけがあれば記憶は鮮やかに蘇ってくるものだということも経験した。キリストとの出会いの記憶の多くは、きっと後者であったに違いない。
 届けた方、諏訪警察署の方に、手元に戻った財布を見ながら心から感謝した週末!

« 危機管理 | トップページ | そう言えば、父の日 »

真間川のほとりで」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く

コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。

(ウェブ上には掲載しません)

« 危機管理 | トップページ | そう言えば、父の日 »