« 同調行動 | トップページ | 私は私 »

2018年5月20日 (日)

聖霊の働く場所

 「皆、聖霊に満たされ、大胆に神の言葉を語りだした。」(使徒4:31)聖霊は私たちのどこに働いて、どんな風にして私たちに神の言葉を語らせるのだろうかと、いつも思っていた。とはいえ、そのことで眠れないというのではない。何故なら、大抵「神様が働いてくださるのだから、それは人間には分からないこと」と自分を納得させて眠れない夜にならないようにするのが常であるからだ。
 先週、日本人は同調行動を起こしやすいこともあって、辛抱強く行列すると書いたが、辛抱強く並び続ける要素がもう一つある。たとえ並んだ結果が、実はさほど美味しい物でなくても、あるいは自分の思うようなものでなかったとしても、「並んだのだから、それにふさわしい価値があるはずだ」と納得させるようにしているからだという。これを「フェスティンガーの認知的不協和理論」という。「A、不協和の存在は心理的に不快であるから、この不協和を低減し協和を獲得することを試みるように人を動機づける。B、不協和が存在している時には、その低減を試みるだけでなく、さらに不協和を増大させると思われる状況や情報を進んで回避しようとする。つまり、ひとは自分にとって都合のよい情報や解釈を用いて自分の行動を正当化することで、不協和から生じる不快感を解消しようとするという。また、不協和を生じさせるような情報をすすんで回避するようになり、そうすることで己の正当性を確保しようとするのだという。その結果「ただでもらったもの、高いお金を払って手に入れたものに、より愛着や価値を抱く。キツい試練を経て手に入れたものには高い評価を下し、自分の誇らしさや自信の根拠として大事にする。長い時間を費やしたことには、それだけ面白味や楽しさがあったと思い込む」ということになる。長時間の行列に耐えて手に入れたら何でも美味しくなるという次第。(この段「HP:COCORO NEXT」より。)
 神と人間の間には絶えず不協和がある。それは神がなさることと人間がしたいことが異なるからである。しかし神は人間に不協和を緩和する術、即ち「認知的不協和」を低減する力を与えてくださっており、人はそれを自分のために用いてきた。しかし、聖霊がその場に与えられることによって、神と人との間の不協和を緩和し、神の言葉を語ることに喜びを覚えるようになるのである。そこに聖霊が働く場があった。
 聖霊がいつも働いてくださって、ストレスのない日々を過ごしていきたい。

« 同調行動 | トップページ | 私は私 »

真間川のほとりで」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く

コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。

(ウェブ上には掲載しません)

« 同調行動 | トップページ | 私は私 »