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2018年4月 8日 (日)

背中を擦って

 新年度が始まった。新一年生、新社会人の姿が目に入る。新生活に希望を持ち、胸に抱いた夢に向かって、堅実で楽しい毎日を過ごして欲しいと思う。勿論彼らに限らず、この時期は何となくだが新鮮な気持ちになる。年度替わりという節目が気持ちを入れ替えさせてくれるからである。しかし、全ての人がそうであるとは思わない。不安な面持ちで新年度を迎える人もいるだろうし、一歩を踏み出すことに躊躇している人もいるだろう。
 今年1月、昨年(11月まで)自殺した19歳以下の子どもは516人と発表された。いじめ、教員の不適切な指導、詳細への不安等々、本来は希望をもってノビノビと過ごせる筈の年代で、自ら命を絶つという選択をせざるを得なかった子どもたちのことを思うとやるせない。親御さんや関係者の方々も無念で仕方ないだろう。精一杯親として背中を押してきたのだろうに・・・。しかし、押される子どもには、それが重圧にしかならないとすれば、「背中を押す」ということでは表現できない別のことが必要なのではないだろうか。
 「ここにはいない」と空の墓の中で若者(天使)に告げられた婦人たち。使徒たちにはたわ言のようにしか聞こえなかった。真偽を確かめに墓にいったペトロからも「墓は空っぽだった」と報告を受けたことだろう。それでも彼らは「イエスの仲間だった」として捕らえられることを恐れ、家の戸に鍵をかけ身を寄せ合っていた。そこにイエスが来て、彼らに手とわき腹を見せてくださった。その場にいなかったトマスにも現れ「信じる者になりなさい」(ルカ20:27)と声を掛けてくださった。また聖書には記されていない多くのしるしみせてくださったが、それは「40日にわたった」(使徒1:3)という。(荒野の40日の誘惑、出エジプトからの40年を思い出す。)復活して直ぐに彼らに聖霊を送り、宣教の場へと背中を押したのではなく、多くの人々にしるしを見せ、背中を擦ってくださったということではないか。特に、三度否認したペトロや逃げ出した弟子たちには、「もう良いよ」と背中を擦ってくださったからこそ、福音を大胆に語る力となったのではないだろうか。
 「もう良いよと背中を擦ってあげる」心構えを持ちつつ子どもの背中を押していたら、自殺を踏み止まってくれる子どももいたのではないだろうか。

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