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2018年2月11日 (日)

「近くにおられる」

 30年前(牧師になって3年目)、北九州の黒崎教会(現在は廃止)に居た私は、隣りの直方教会も兼任することになった。そこに宣教師のウエンツ牧師夫妻が派遣され、一緒に牧会にあたってくださることになった。私は、黒崎と直方の間にあって北九州市のベッドタウンになりつつある中間市が、今後の宣教の進展には有力と考え、ご夫妻にその町に住んでもらうように依頼し、ご夫妻も快く引き受けてくださった。私鉄の駅近で、大きなスーパーマーケットもあって生活するには快適な場所でもあったからだ。
 ある日、ご夫妻のお宅から帰る際「近くのスーパーで買い物して帰ります。」というと、夫人が「私たちは行ったことがない。」と。「安くて何でも揃うので便利です。」と話すと、「でもスーパーでは店員さんと話が出来ないでしょう。外国人で目立つから、小さなお店に行くと話しかけてくれて、友だちになれるよ。」という返事が返ってきた。まさに「福音のためなら、わたしはどんなことでもします。」(1コリ9:23)と言ったパウロの如くであったが、それはまた「遠くの親戚より近くの他人」という日本式コミュニティーの生き方であったとも言えるだろう。
 工事中の隣家から石が飛んできてガラス1枚が破損した。昨年9月中旬に牧師館の軒天が一部破損した時もそうだったが、今回も直ぐにT工務店さんに連絡を取る。「会堂のガラス窓はサッシではなく漆喰が使われているので、依頼できるガラス屋も少ないのです」と電話の向こうで話してくださりながら、「出来るだけ早く手配します。」と返事をいただいた。会堂や牧師館のことを頭の中に入れていてくださるので大助かりである。翌々日、私が1時間程留守している間に修理は終わっていた。いつものガラス屋さんであった。帰り際「古いガラスなのでちょっとしたことで割れる可能性がありますよ」と言いながら帰っていかれた。市川に赴任して18年。この間にガラス窓に関する修理は6回目になる。60年前の建物なので、現在は使用されていない材料もあり、これからも手を加え続けていかなければならないだろう。それでも私は心配していない、「近くて信頼できる工務店さん」がいてくださるのだから。何よりも「あなたは近くにいてくださいます。」(詩篇119:151)という神がおられるのだから。

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