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2018年2月 4日 (日)

「不便益」

 二週続けての降雪となったこの地方。豪雪地方からすれば「ほんの僅かな雪」でしかないが、それでも翻弄されてしまう。雪への備えがない為だが、鉄道会社が雪対策しないのは「費用対価効果がないから」という。雪による遅延はあっても事故は想定していないということなのだろうか。利用する人の命や生活への想いを少しも感じられない(と思うのは私だけだろうか)。ともあれその結果は、ニュース報道の通り、大混乱であったが、それも想定内なのだろうなぁ。
 雪に対する私の備えは、雪かき用のスコップと氷を割るツルハシを所持している程度である。冬タイヤは用意していないので車での外出は無理。自宅が職場だからそれで済むのだが、大抵の方は自宅外での仕事なので、公共交通機関を利用しない訳にはいかない。中でも運送業務の方々は、顧客に迷惑を掛けないためにと、スリップの危険や渋滞の中で仕事を強いられる。本当に大変な仕事だと思う。道路や線路などに雪対策ができないのなら、通勤・通学、運送等々、雪の日は休業・休校を許すような社会であっても良いのではないか。そのためには、社会全体というより我々市民が、何でも直ぐに手に入れられるという思いを捨てれば良いのではないか。つまり便利な世の中を良しとするのでなく、不便もまた可とする社会を目指すということでもある。
 山口県のとある老人介護施設には手すりもなければエレベーターもない。あえて不便にすることで、日々の生活の中でリハビリになるようにしているからだという。重症の患者にはスタッフがサポートしてくれるので心配は無用。これすなわち「バリアアリー」なのだと。 (1月24日NHK)便利な世の中が悪いとは思わないが、不便であることで、人が持って生まれたものを活かし、なおかつ人を大切にする社会に繋がっていくのかもしれない。
 「この人が生まれつき目が見えないのは、だれが罪を犯したからですか。」障害や病・苦難を罪(マイナス)と捉える面が信仰にある。不便をマイナスとする現代社会と似ている。しかしイエスははっきりと「本人が罪を犯したからでも、両親が罪を犯したからでもない。神の業がこの人に現れるためである。」(同9:3)といわれた。苦難も不便も、人がそれに前を向いて立ち向かおうとする時、「万事が益となる」(ローマ8:23)ことを、神はご存知なのである。たまには不便を享受しようではないか。

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