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2017年10月22日 (日)

免許更新

 五年振りに免許センターへ更新のために出かけた。視力検査を終え、免許証の写真を撮り講習を受ける。今年3月道路交通法の改正が行われたことを聞かされる。道路標識と高齢運転者対策の整備、要するに訪日外国人のために英語を併記することと年取った人の安全対策という内容であった。70歳を越えたら更新の前に教習所などで「高齢者講習」の受講が義務付けられ、75歳以上は更に「認知機能検査」を受けなければならないことを知らされた。他人事のように聞いていたのだが、次の「5年後の更新は……」と考えていたら、「あれ、普通に免許更新できるのはあと一回だ」と気付いた。還暦を過ぎた私、「高齢者という範疇に足を踏み入れ始めているのだ」と天の声が聞こえたようでもあった。
 洗礼を受けた私たちは、神様から「クリスチャン」という免許を頂いたようなものかもしれない。運転免許は更新もあれば返納もある。しかし、クリスチャンという免許証は更新不要、しかも十字架上で示してくださった「神の愛」という贈り物が永遠に付与されている。この贈り物について聖書には次のように記されている。「愛は忍耐強い。愛は情け深い。ねたまない。愛は自慢せず、高ぶらない。礼を失せず、自分の利益を求めず、いらだたず、恨みを抱かない。不義を喜ばず、真実を喜ぶ。すべてを忍び、すべてを信じ、すべてを望み、すべてに耐える。愛は決して滅びない。」(1コリント13:4~8)私たちが「神の愛」という贈り物をいただいて、そのように変えられるとしたら素晴らしいことである。頂いた免許に支えられた信仰の歩みは、丁度運転が経験を積むことで向上するように、その豊かさをます。しかし、そこに驕り高ぶりが生じると、事故を起こすし、律法主義的な生き方に替わってしまい、挙句に神様をも操るようになってしまう。神様は免許証を取り上げるようなことはなさらないし、むしろ全ての人に与えたいと願っておられるということを付け加えておきたい。
 今日は「投票日」であるが、これを改め「衆議院議員免許更新日」と私は言いたい。議員になりたい人たちが自分自身で更新できるのではなく、私たちの一票々々によってしか、更新も取得もできないからだ。更新の人はこれまでの実績を、取得したい人は公約に対する熱意を諮りつつ大切な一票を投じたい。

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