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2017年7月 9日 (日)

AI(人工知能)その2

 事故で腕を失ったり、生まれつき腕が欠損している人のために義手がある。それについての私のイメージは、「腕があるように見せる」という程度のものだった。しかし筋肉が動く際に発生する微弱な電気を読み取って、手指を動かす「筋電義手」というものも開発されており、2000年頃から日本でも一般に使用され始めたらしいが、高額なため1%程度しか普及していないという。だから私たちが目にしないのも無理もない。
 人間の体は筋肉を動かそうとすると脳から指令が出、それが神経を伝わり筋肉に達し放電現象を起こす。その電気は「手を握る、開く、手首を曲げる」といった動作それぞれで周波数や振幅が違うので、内蔵されたマイコンで特性を解析し、モーターを駆動させて動かすのが筋電義手なのだという。その筋電義手に装着させる人の手を動かすパターンを、予め学習能力をもつAIに記憶させた上で本人に装着する。するとAIはその人の個性をいくつかの動作を通して学習し、その人に合わせた動作をするようになるのだという。勿論まだまだ問題も多く、個々の指の動き、持つ力、筋電義手そのものの耐久性や充電のことなど課題はたくさんあるが、これを付けた人が自信をもって生きていけるなら、素晴らしいことではなかろうか。(HP:Mugendai参照)こうして与えられた新しい技術を、人はどのように用いるかということが、これからも益々問われていくことだろう。
 宗教改革の時代、それまでの礼拝様式や装飾などの全てを捨てた教会があった。しかしルターは「信仰のために有益なもの」に関しては大事なものとして残した。その結果、聖壇には教会暦を教える聖壇布が用いられ、聖書の光を伝える燭火があり、牧師も祭司服を着用する。これらはまさに信仰を助けるものであって、生き生きとした信仰に繋がるものである。その事から言えば、私たちが最も気を配らなければならないことは、人が人として喜んで生きることが出来るために必要なことは何かを考えることであって、知識の積み重ねによって得られた新しい技術AIだけが素晴らしいものだと賞賛することではないだろう。
 筋電義手がもっと手に入れやすくなり、腕を失くした方々の人生に希望が与えられたらと思う。そんなところにこそ、私たちが払う税金が用いられたらなぁ…。

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