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2017年6月11日 (日)

神様の置土産

 私が虫垂炎を患ったのは神学大学1年の時、9月に行われる「一日神学校」の前日だった。急にミゾオチが痛み出し、近所の病院に駆け込んだら「虫垂炎」と診断され、即入院手術となり、翌々日には退院し寮に戻ってきた。「大事な時に、あろうことか虫垂炎とは」と思う一方、「あってもなくても良いような臓器、この機に取れたのだから良しとしよう」と思ったものだった。
 私は素人だからつい「盲腸(虫垂)はあってもなくても良い臓器」と表現してしまったが、「盲腸の機能は良く分かっていない」ということが正確な表現だろう。人間は身体の全てを解明している訳ではないし、仕組みや働きには未だ未だ未知な部分が多くある。医学は確かに進歩しているが、「進歩は未知なことの発見」に繋がっているのではないだろうかと思う。そのようなことのひとつに、「内臓動脈」という血管がある。
 5年ほど前、天皇の冠動脈バイパス手術が行われた際に用いられたのが内蔵動脈であった。胸骨の裏側に縦に走っている血管がそれで、はがしてもその後の人体への影響はないと言われている動脈なのだという。だから冠動脈が詰まった時に替わりの血管として使えることが分かり、天皇の手術の際もこの動脈が使われてバイパス手術が行われたである。医学者の間ではこの内蔵動脈を「神様の置土産」と称されているのだという。「神様が、もし人類がはからずも長生きできるようになり、冠動脈が詰まる事態になった時、気がつくかどうかのクイズを出した、と勘ぐりたくなるようなもの」と、ある医者は記していた。未知なる機能が私たちの身体には沢山あること、だからこそ謙「神様の置き土産」と謙虚に受け止めることが、次への進歩に繋がっていくのではないかと思う。
 「わたしは父にお願いしよう。父は別の弁護者を遣わして、永遠にあなたがたと一緒にいるようにしてくださる。この方は、真理の霊である。」(ヨハネ14:16~17)この言葉は弟子たちに与えてくださった約束であるが、「世は、この霊を見ようとも知ろうともしないので、受け入れることはできない。」とも言われておられる。せっかくの主の「置き土産」である聖霊を感謝して受け取る時に、苦悩の中にあっても先へと歩を進める力がいただけることを、聖書は私たちに告げてくれている。

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