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2017年5月21日 (日)

道案内

 「わたしは道であり、真理であり、命である。」(ヨハネ14:6)先週の日曜日の福音書の個所である。その際に、道案内のことを取り上げて、私はこう語った、「最も良い道案内の方法は何でしょう。それは一緒に行ってあげることです。」と。とは言え、実際には言葉で説明したり、地図を書いて教えることが殆どである。時間がないからということもあるし、一緒に行くまでのことはないだろうと思うからである。また、道を聞いた人にしても、一緒に行って欲しいなどとは考えてもいないだろう。
 ところがその翌日、朝早くに犬の散歩をしていた時のことであった。バス通りの手前を歩いていたところ、軽トラックから降りてきた年配の運転手が、「すみません、ここに行きたいのだけど」と住所が書かれた紙を差し出してきた。「市川1丁目○番〇号」とあったので、駅周辺というのは予想がついたが、細かなことは分からない。そこでスマホの地図アプリで探し、それを見ながら、「ここから先の角を右へ行って・・・」と説明してあげた。無事に到着できるようにと願いつつ、私は散歩を続けたが、歩きながら前日の説教を思い出し、「神様も随分意地悪なことをなさるものだ」と思わず苦笑してしまった。
 「主は羊飼い、わたしには何も欠けることがない。主はわたしを青草の原に休ませ、憩いの水のほとりに伴い、魂を生き返らせてくださる。主はお御名にふさわしく、わたしを正しい道に導かれる。」(詩編23:1~3)この詩を読むと、「砂の上の足跡」という作者不詳の詩を思い出す。「歩いてきた道にはふたりの足跡、ひとりは彼、もうひとりは神。しかし彼が時に辛く苦しい時にはひとりの足跡しかない。神に問うと、あなたを背負って歩いたからだと。」
 羊飼いが羊を導くように、主は私たちを導いてくださると詩編の作者は語り、神は道を案内してくださるだけでなく、時には倒れ伏す私たちを助け起こしてくださると作者不詳の詩は語る。私たちの人生には素晴らしい道案内がいるのだから、この約束を恵みとして受け取り、信頼して委ねるようにと聖書はあなたに呼びかけている。
 あの日、私が道を教えてあげた方は無事に着いただろうか?いつかまた誰かに道を尋ねられたら、「一緒に行ってあげましょう」と言ってみよう。

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