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2017年5月14日 (日)

〇〇ファースト

 今日は「母の日」。昨年まで僅かではあったが母にプレゼントを贈っていたが、今年は神様への執り成しの祈りを贈るだけである。いつかこのような日が来るとは分かっていたが、いざとなると寂しい気持ちが湧いてくる。小学生の頃は母に随分叱られた記憶がある。その一方、下級生の頃のクラス旅行などには母も同行していたらしく、集合写真に必ず母の姿がある。どのような経緯で同行したのかは分からないが、大切にされていたのだと思う。そんなことは何も私の母に限ったことではなく、多くの「母」にとって、我が子第一(ファースト)であるのが普通であろう。しかし、「ファースト」も時と場合によっては行き過ぎた事態を招き、「モンスター」と化してしまうことも周知のことである。
 今年の1月22日、「世界終末時計が残り3分となった」と発表された。核軍縮の取り組みが停滞し、温暖化を防ぐ取り組みが不十分であること等で、3年ぶりに2分短縮されたのである。終末時間は人類が生み出した技術によって世界が滅亡する時間を午前0時になぞらえ、残り「何分」と表示したものだ。それは人々の平和への希求の表れでもある。1952年に米ソが核爆弾の実験を行った時には「残り2分」まで近づき、米ソが戦略兵器削減条約に署名した1991年には17分になった。それなのに世界の歩みは再び終末に向かって加速している。今や世界を終わりに導く要因には、技術をどのように用いるかという人間の在り方もまた大きく関わっており、そのことも考慮されなければならないのではないか。その理由として感じるのは、「○○ファースト」という言葉である。誰しもが自分の幸福を願うし、それ自体は決して悪いことではない。しかしその際、隣人への配慮がなされているだろうか。独りよがりな自己防衛だけが独り歩きしていないだろうか。それが他者を抑圧し脅威となっていないだろうかと危惧するし、終末へ加速する源ではないかと思う。
 主イエスは経済的に貧しい者というだけでなく、「神無き」貧しき者(全ての人)に寄り添われた。主が寄り添われることで、彼らが再び生きる力を取り戻すようにと願われたからである。「貧しき者ファースト」、それが世界終末時計を巻き戻す力になるのではなかろうか。
 母たちの我が子への純粋な愛が、世界中で「ファースト」になったら素敵なのに!

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