« 解き放つ | トップページ | 〇〇ファースト »

2017年5月 7日 (日)

養われる

 連休後半、5月2日に庭のサクランボが一気に色づいた。前日までは、枝先の実が少し赤くなっていただけだったのに、僅か一日で手が届く高さの枝の実まで色づいた。今年も豊作、野鳥たちも歓呼の鳴き声を挙げながら、ついばみに飛来することだろう。
 じつは、保育園の子どもたちがサクランボ狩りを予定していたのが5月1日の火曜日。数年前までは、ゴールデンウィークの終盤頃に熟すことが多く、子どもたちが毎年のようにサクランボ狩りに来てくれていた。ところが数年前から、熟す日が少し早くなり、ゴールデンウィーク中に熟したサクランボの殆どが鳥たちに食べられてしまい、サクランボ狩りは叶わぬ夢となってしまっていた。それもあったので、今年は少し早めにと計画してくれたのだけど、一日違いで今年も夢となった次第。それでも折角だからとやってきた子どもたちは、保育士が木の上の方の熟した実を一粒ずつ口にすることができたのが、せめてもの慰めであった。自然が鳥たちを養うために、サクランボが熟す期をゴールデンウイーク中と定めたのなら、潔く諦めざるを得ない。
 それにしても鳥たちは熟す期を良く知っているものだと思う。調べてみると、鳥類の視力は人間よりもはるかに優れており、特にタカやワシなどの猛禽類の視力は人間の8倍、そして紫外線までも見ることが出来るのだという。つまり鳥たちが熟したときにサクランボを食べに来るのは、人間よりも優れた視力で観ているからだということになる。「空の鳥をよく見なさい。種も蒔かず、刈り入れもせず、倉に納めもしない。だが、あなたがたの天の父は鳥を養ってくださる。あなたがたは、鳥よりも価値あるものではないか。」(マタイ6:26)聖書の時代の人々は、鳥の目の仕組みは知らなくても、鳥たちに素晴らしい能力を神が与え養ってくださっていることは知っていた。翻って現代の私たちはどうだろう。増えた自然科学の知識や発展した科学によって、未来を築こう(養おう)としているだけではなかろうか。武力や原発でなく、神が与えてくださった「平和を愛する心や豊かな自然」と共に、未来を築いていきたいものだ。
 サクランボ狩りが出来ず子どもたちは残念だっただろうが、一粒食べられたことに満足して帰園する彼らの姿は、大人の私たちが忘れてしまっている「養われていることに感謝する」姿そのものなのだと教えられた今年のサクランボ狩り計画であった。

« 解き放つ | トップページ | 〇〇ファースト »

真間川のほとりで」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く

コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。

(ウェブ上には掲載しません)

« 解き放つ | トップページ | 〇〇ファースト »