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2017年4月 9日 (日)

私たちの本国は・・

 「人は簡単には死ねない」、と母が亡くなって思う。母が生きていた証が様々な所に残っており、法的にも「この国にからいなくなった」ということを証明する作業を続けてきた。そのためには「母がこの国の住民であったことの証明」が必要とされるが、その手続きをする者(私たち兄弟)が、手続きする権利を有する者であること(母と親族であったこと)の証明も必要となってくる。それには「戸籍謄本」が何より事実を証明してくれるのだから、本籍地へ申請し取り寄せなければならない。幸い私の本籍は両親と同じところにあるので、私の謄本と同時に取り寄せると面倒な書類も必要ないことが判り、ほぼ1週間で取り寄せることができた。そして書類を取り寄せ、車で実家に向かったのが先週の月曜日。母が亡くなった後も姉と弟は実家に残って作業してくれており、「謄本」さえ揃えば諸手続きは終了するというところまで整えてくれていた。そして私が持参した「戸籍謄本(全部記載の謄本も含む)」をもって役所に向かった。役所では死亡による年金の終了、「保険証」と「マイナンバー」の返却手続きを行った。順番待ちしながら弟がポツリと「これで終わった」と漏らす言葉を聞いて、手続きの大変さを思った。死そのものは瞬時に人を襲うが、人が生きてきた痕跡を公的に無くすには大変な労力を必要とする。まさに「人は簡単には死ねない」ことを実感する。同時に死亡に伴う手続きは、その人が生きていた痕跡を消す作業なのだと思うと、無性に寂しくなってしまった。
 数日滞在し必要な手続きを終え、私は母と父の遺骨を車に乗せて帰宅した。両親が約50年住んだ佐賀の地であるが、親類縁者もそして葬る墓もないために、両親の遺骨は私たち夫婦と同じ東教区の小平墓地と決めたからである。弟や姉の子どもたちも近くに住んでおり、「お墓参り」できる距離ということもあるし、母が「お墓はあなたたちの近くにしてくれたら良い」と言葉を遺してくれたからである。
 「わたしたちの本国は天にあります。」(フィリピ3:20)お墓は遺された者たちが心を寄せる場所であるが、そこに死者がいる訳ではない。天国に場所が備えられているからである。それでも遺された者たちが墓に集うことは大切である。自らの地上の歩みを主と共に喜びの内に進めることを心に誓う場所でもあるからである。
 母が生きた証は法的には無くなったが、私の胸の中にしっかりと残っている。

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