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2017年3月19日 (日)

埋設物

 三月上旬より牧師館のバルコニーと軒天の工事が始まった。2月半ば過ぎに連絡してから、ひと月もたたない内の工事開始である。年度末ゆえに早急の工事は難しいのではないかと思っていたが、予想外に早い開始であった。依頼した工務店さんは以前から「バルコニーは危険です、使用しないでください。」と再三警告しておられたので、最優先で工事の日程を組んでくださったのだろうと推測する。それでも一気呵成にという訳にはいかなかったようで、先ずはエアコンの屋外機の撤去が始まってから10日程経過してやっとバルコニーの設置と相成った。
 新しいバルコニーは30㎝ほど広くなるため支柱の設置場所を掘っていた時のことである。20㎝ほど掘り下げたところに、配水管のようなものが出てきたのである。作業する方は「何もない」と信じ込んでいたので、勢いよく掘っていたら配水管を破壊してしまったと困惑しておられた。工事を一時中断し、工務店さんもやってきて調べてみるも、実際に使用されているのか分からないという。家の中の全ての水回りから水を流してみたが流れ出てくる気配もなく、「昔の住宅の配管を処理しないまま残されていた物」と結論付け工事を再開した。迷惑な埋設物である。
 教会敷地にはいろいろな埋設物がある。会堂内の防空壕跡は今でも床を開けると中に入ることができる。説教壇の前の部分の下には井戸があるし、会堂の裏にはコンクリートで囲まれた空洞がある。そして今回の配水管跡と、かつての住宅の名残が埋設されたままである。それらは新しく何かを設置しようとするには迷惑でしかないかもしれないが、この地で生きた人々の息遣いを感じられるということでは、決して悪いものではない。何故なら、何十年も先にこの地に生きる人々に、今生きている私たちの思いを伝えられるなら嬉しいと思えるからである。
 主イエスとの出会いは弟子たちの心に「新しい恵み・福音」として埋められた物である。その「埋設物」が伝えられて福音書となり、全世界に広がったものである。換言すれば、福音は私たちに予め備えられたものではなく、神が聖書を通して私たちの中に埋めてくださった埋設物にほかならない。せっかく埋めていただいた「恵み」、大切にし次の世代に伝えたいものだ。
 広くなったバルコニーで、今年の夏は「一人ビアガーデン」でも開こうか!

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