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2016年12月 4日 (日)

愛されて、元気

 入院治療の必要性がなくなった後も入院を続けることを「社会的入院」と呼ぶ。高齢者の自宅に介護者がいなかったり、受け入れ態勢がない等でそうなることが多いが、最近の小児科にも退院できずにいる子どもたちが存在するのだという。大阪の小児科医のグループが調べた結果では、3年間で少なくとも延べ168人が本来必要のない入院生活を送っていたという。原因は暴力や養育放棄などによる虐待で入院してくると治療しながら児童相談所に通告し、相談所が再び虐待の恐れがあると判断した場合は、乳児院や児童養護施設などへの入所を検討するが、施設では空きがなかったり、ケアできないと断るケースがあり、その場合はやむなく入院を続けるしかないことによる。過去に同じような経験をした20代の女性は、虐待を受け中学生の頃に心身に支障をきたして入院した後も4か月間入院が続いたが、「当初は入院で救われたと思っていたが、そばにいてくれる人も、遊んでくれる人も、話を聞いてくれる人もいず寂しかった」とメッセージを寄せていた。(以上、29日朝のNHKニュースより。)幼い心に居場所がない経験は辛く悲しい傷を深く残していく。
 クリスマスの時を迎えている。最初のクリスマスの夜、聖なる家族は居場所を見つけられなかった。やっと辿り着いたのは家畜小屋。「宿屋には彼らの泊まる場所がなかったからである。」(ルカ2:6~7)しかしその夜、天使の讃美を聞いてきた羊飼いたちの訪問を受けた。傍に居る人があれば、そこが「居場所」なのだと、飼い葉おけの中から主が告げておられるのかもしれない。
 士師の時代(BC1900年頃)、モアブ人ルツは嫁いだユダヤ人の義父母と共にユダヤの地にやってきた。夫は既に亡くなっていたのに、故郷を離れて義父母と行動を共にしたのは何故だろうか。神を信じるようになっていたからだということもあるだろうが、それ以上に彼女にとっては故郷よりも義父母との生活が最も良い「居場所」であったからではなかったか。その彼女を神は、救い主に連なる先祖とされたのである。
 人には「居場所」が必要だが、それは場所ではなく、話を聞いてくれる人が居て、慰めてくれる人が居てくれる所が「居場所」になる。何よりも、神は「私があなたと共に居るから、そこがあなたの居場所なのだ」とクリスマスの時に告げておられる。

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