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2016年12月25日 (日)

自由に振る舞う―その2

 前回、「キリスト者の自由」から自由について記したが、ルターは自らの行動における自由だけではなく、魂における自由について語っている。つまり、私たち人間を束縛している最大のものは「死」であって、どんなに自由に振る舞おうとも、「死」から解放されない限り奴隷の状態は解消されないというのである。若い頃、「死」は遠くにあると私たちは思い込んで生きている。しかし「明日の命」の保証をしてくれるものは何もないのだが、健康な肉体があれば「明日の命」も可能だと思い込んでいる。しかし「死」は遠くにあるのではなく、いつも身近なところに潜んでおり、「死」から逃れる術を人間はもたない。人は皆、いつか「死」を迎えるからである。その結果、人(の魂)は「死」の束縛、即ち奴隷になっているのである。ではどうやったらそこから解放されるのだろうか。
 「魂は、聖なる福音、すなわち、キリストについて説教された神のことば以外には、自らが生き、義であり、自由であり、キリスト者であるようにするいかなるものも、天においても、地においてももっていない。(中略)魂が神のことばをもっているなら、もはやほかのどんなものも必要としない。」(キリスト者の自由:第五)神というゆるぎない土台にしっかりつながっていること、ここに「死」の束縛・恐れからの解放がある。この土台に結ばれている時、私たちは自己愛からも解放され、自由にノビノビと生きるというだけでなく、他者に仕える生き方に向かうことができるのである。そしてこの自由は、私たちが信仰によって勝ち取ることができるのではない。そうではなく、「キリストが与えてくださった自由」に他ならない。
 「今日ダビデの町で、あなたがたのために救い主がお生まれになった。」(ルカ2:11)天使が羊飼いたちに告げた言葉である。これこそ神が一方的に与えてくださった恵みの言葉であって、羊飼いたちの行ないも信仰も問われてはいない。もちろん私たちにも、そしてこれから地上で生きる全ての人々に与えられた恵みである。だから私たちは主の誕生、クリスマスをお祝いする。私たちが「死」の束縛から解放され、与えられた自由によって大切な隣人を心から愛し仕えることができるようになったからだ。
 皆様へ、心から「クリスマス、おめでとう!」と伝えたい。

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