« はじめの一歩 | トップページ | 記憶を辿る »

2016年11月 6日 (日)

後の祭り

 鼻水が止まらず、時折激しくせき込む。絡んでいる痰がなかなか吐き出せない。そんな状態になったのは宗教改革主日の前日、土曜日の朝であった。その日は常備薬の降圧剤をもらいに病院に行く予定だったので、一緒に診察してもらおうと病院へ向かった。病院に入ると大勢の人が待合室にいるのが目に入った。受付で診察券を出していると、「お薬の継続ですか?」と聞かれ、「診察も・・」と言いかけて「あ、そうです、継続です」と言ってしまった。予定していた作業に診察の順番待ちで時間を取られてはかなわない、と瞬時に判断したからだ。
 薬の継続だけなので、数分後には薬局に向かい、自宅を出てから15分もたたずに帰宅できた・・・が、「診察してもらい、咳止めの薬ももらえば良かった」との思いが徐々にわいてくる。案の定、夕方には熱も38度近くなり、市販の熱さまし薬を飲んで早めの就寝。翌日は皆様に無様な姿を見せてしまい、バザー準備にも顔を出せずに迷惑をお掛けした。それでも「明日は良くなっているはずだ」といつもと同じ生活。回復の兆しもみえないことに白旗挙げて病院に駆け込んだのはバザー前日であった。レントゲンを撮ってもらい、吸入器で気管支を拡張し痰を取れるようにしてもらい楽になった。あの日、診察してもらっていたら、こんなに苦しい思いをしなくてもよかったのに、バザーのために一所懸命準備してくださっている皆様にもご迷惑やご心配をおかけしなくてもよかったのに・・・まさに「後の祭り」とはこのことだと猛省。しかしこのことに限らず、私の人生は「後の祭り」の目白押しだと改めて感じたものであった。
 「後の祭り」とは実際に京都の八坂神社にあるらしいが、今では「後で気付いて悔やんでもどうにもならないこと」という意味で用いられている。人生にはそんな事で溢れている。しかし「悔い改めて福音を信じなさい」(マルコ1:15)と告げられているのは、「人生に後の祭りはなく、悔い改めを糧にして生きる」という生き方を示してくれているのではなかろうか。
 不注意で「後の祭り」となってしまったが、治ったのは「祭り(バザー)の後」。これも神様の戒めだったのかもしれない。

« はじめの一歩 | トップページ | 記憶を辿る »

真間川のほとりで」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く

コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。

(ウェブ上には掲載しません)

« はじめの一歩 | トップページ | 記憶を辿る »