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2016年11月

2016年11月27日 (日)

伝える

 「ばいきんあつかいされて、ほうしゃのうだとおもっていつもつらかった。福島の人はいつもいじめられるとおもった。」震災で福島から横浜に避難し、今年中1になる子が小6の時に書いた手記が公表された。いじめは小2で転校した直後から名前に菌を付けて呼ばれるなどのいじめを受けて始め、小5の時には同級生の遊興費を負担させられ、担任・学校・教育委員会に相談したものの対応してもらえなかったという。それでも「いままでなんかいも死のうとおもった。でも、しんさいでいっぱい死んだから、つらいけどぼくはいきるときめた。」と書き綴った。両親は「いじめられても、生きてほしいという気持ちを込めて公表した」と話しているという。本人、そしてご両親の苦悩を思う。いじめられている子どもたちに「生きる」ことを伝えて欲しい。いじめている子どもたちに「いじめている子の辛い気持ち」を伝えて欲しい。そのことを子どもたちに伝えることは私たち大人の責任である。
 教会暦では新しい年の始めアドヴェント(待降節)に入る。キリストの誕生を待ちつつ望みつつ過ごす時であるが、気持ちはもうクリスマス!16年目を迎えたサンタさんも衣装を新調(ペンキ塗り替え)し、枯れたモミの木の代わりを購入、古川姉が寒い中作ってくださったクランツとリースをいつもの場所に飾り私の準備も着々と。でも忘れてはならない。クリスマスは神ご自身が御子として世を救うために来られた時であり、救いの出来事が地の上で見える出来事として現れた時なのだということを。そのことを伝えることは、キリスト者の責務であろう。
 先日、保育園のお誕生会に初めて参加した。その月の誕生の子どもたちを前に、みんなで誕生日の歌が歌われる。「生まれる前から神様に守られてきた友だちの、誕生日です、おめでとう。生まれて今日までみんなから、愛されてきた友だちの、誕生日です、おめでとう。」はにかみながらも嬉しそうな誕生月の子どもたち。この歌の意味は分からないかもしれない。でも「神様に守られ、みんなに愛され」ていることを心に刻んでくれたのではないかと思うと同時に、心に刻まれたそのことを子どもたちが伝えていってくれたなら、「いじめ」もなくなるのではなかろうか。
 今年も迎えるクリスマス、喜びを伝えに出かけて行こう。

2016年11月20日 (日)

訓練する

 小羊保育園で収穫感謝祭が行われた時のことである。収穫感謝と小児祝福の礼拝後、警察と消防署の方々の安全教室が行われた。警察官が用意したパネルを用いて信号の色と動きを教えた後、歩行者用の信号を使って問題が出された。「青で渡っていたら点滅し始めた。どうしますか?①走って向こうの歩道に行く。②道路の真ん中で止まる。③走って元の歩道に戻る。」これを聞いていた若い消防士さんたちの囁きが聞こえてきた。「点滅していて進むのはまずいんじゃないか」「大きい道路なら、中央分離帯に止まれるから真ん中だけどなぁ」「やっぱり戻った方が良いんじゃない?」消防士さん達が選んだのは③。私も色んな状況を思い浮かべたが、どれも正解のように思えた。それでも「どれか一つであれば③かなぁ」と一瞬考えた。理由は「警察官の前だし、確か黄色は危険な場合以外は止まれだから、進むよりは戻った方が怒られずに済む」と考えたからだ。
 正解は①、それを聞いて子どもたちの間から「ヤッター!!」の合唱が沸き上がる。大人の知恵が邪魔をした結果、消防士さんたちは苦笑い。そして私も密かに照れ笑いであった。警察官曰く「点滅したら赤になる前に走って向こうへ渡ってください。交通事故に遭わないためにはそれが一番」と。ルールを守りつつも危険回避の最も良い手段を選択すること、それが何よりも大切にしなければならないことである。交通安全教室を通して子どもたちは、そのことを訓練され、自らの命を守る術を体に染み込ませていくのである。
 主の日、礼拝のために会堂に足を運ぶ。「安息日を心に留め、これを聖別せよ」と十戒の第三戒にあるからだ。同時にこれは「訓練」でもある。週の初めに神を思い起こすことで、困難に直面しても絶望感に襲われても、そして溢れんばかりの喜びに包まれようとも、いつも神を思い起こすことができるようなるからだ。神はこうして私たちを「訓練」してくださっているのである。
 「急いで渡る」、でも足が衰えてきたらどうするだろう。一番安全な方法は、青信号の途中で渡り始めず、信号が青に変わった瞬間だけ渡り始めることではなかろうか。そのためには「全てにおいて余裕をもって行動すること」の訓練を始めねば!

2016年11月13日 (日)

記憶を辿る

 幼い頃の記憶を辿る。一番最初の記憶は4歳頃、自宅裏のグランドに来ていた「紙芝居屋さん」のところに行った記憶。誰と行ったかは記憶にないが、紙芝居が終わってオジサンが小箱から出した飴玉を羨ましそうに眺めていた。母は「外で売っているから奇麗じゃない」と飴玉を買うお小遣いをくれなかったからである。つまり私の記憶にあるのは、「飴玉を食べられなかった」という食いしん坊の悔しい記憶ということになる。だからかもしれない、私が子どもたちに甘くてついつい物を買ってあげてしまうことがあるのは。でも、母は厳しかったけれども、いつも子どものことを第一に考え、十分な愛情を注いでくれていたことは、勿論理解しているつもりだ。
 「自分が親になって自分の子どもを見てると、最初の自分の空白の2、3年が、見えてくる。(宇多田ヒカル) 子を育てるなか、子の顔から、『きっと自分もこんな時こんな表情してたんだろうな、親にこうしてもらってたんだろうな』と、まるで霧の向こうを探るように想像するほかないと歌手は言う。」(11月10日朝日新聞「折々のことば」より)辿れない記憶があるが、親になってから心の襞に刻まれた父母の愛情を感じることがある。それこそが実は私たちを元気にする源なのかもしれないと思う。
 私が洗礼を受けたのは1973年の顕現主日であった。受洗の瞬間の記憶は殆どないが、その日の聖餐を頂く直前、長老の方が私の横に来て「さあ、行きましょう」と声を掛けてくださった。「私もここに居ていいんだな」と、とても嬉しかったことはしっかり記憶している。その声は、「あなたが洗礼を受けたことをとても喜んでいるよ」という神様からのものでもあったかもしれない。
 福音書には多くの人々がイエスと出会った様子が記されているが、その後の生涯について記されることはない。彼らはその後どんな生涯を送り、命を終えたのだろうかと思うことがあるが、それは叶わぬこと。しかし、私も同じくイエスと出会った者として言えることは、「彼らも人生の節々でイエスとの出会いの記憶を辿りながら、慰められ励まされつつ豊かな人生を送ったのではなかろうか」と。

2016年11月 6日 (日)

後の祭り

 鼻水が止まらず、時折激しくせき込む。絡んでいる痰がなかなか吐き出せない。そんな状態になったのは宗教改革主日の前日、土曜日の朝であった。その日は常備薬の降圧剤をもらいに病院に行く予定だったので、一緒に診察してもらおうと病院へ向かった。病院に入ると大勢の人が待合室にいるのが目に入った。受付で診察券を出していると、「お薬の継続ですか?」と聞かれ、「診察も・・」と言いかけて「あ、そうです、継続です」と言ってしまった。予定していた作業に診察の順番待ちで時間を取られてはかなわない、と瞬時に判断したからだ。
 薬の継続だけなので、数分後には薬局に向かい、自宅を出てから15分もたたずに帰宅できた・・・が、「診察してもらい、咳止めの薬ももらえば良かった」との思いが徐々にわいてくる。案の定、夕方には熱も38度近くなり、市販の熱さまし薬を飲んで早めの就寝。翌日は皆様に無様な姿を見せてしまい、バザー準備にも顔を出せずに迷惑をお掛けした。それでも「明日は良くなっているはずだ」といつもと同じ生活。回復の兆しもみえないことに白旗挙げて病院に駆け込んだのはバザー前日であった。レントゲンを撮ってもらい、吸入器で気管支を拡張し痰を取れるようにしてもらい楽になった。あの日、診察してもらっていたら、こんなに苦しい思いをしなくてもよかったのに、バザーのために一所懸命準備してくださっている皆様にもご迷惑やご心配をおかけしなくてもよかったのに・・・まさに「後の祭り」とはこのことだと猛省。しかしこのことに限らず、私の人生は「後の祭り」の目白押しだと改めて感じたものであった。
 「後の祭り」とは実際に京都の八坂神社にあるらしいが、今では「後で気付いて悔やんでもどうにもならないこと」という意味で用いられている。人生にはそんな事で溢れている。しかし「悔い改めて福音を信じなさい」(マルコ1:15)と告げられているのは、「人生に後の祭りはなく、悔い改めを糧にして生きる」という生き方を示してくれているのではなかろうか。
 不注意で「後の祭り」となってしまったが、治ったのは「祭り(バザー)の後」。これも神様の戒めだったのかもしれない。

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