« 隠ぺい | トップページ | 後の祭り »

2016年10月30日 (日)

はじめの一歩

 先日、急に降り出した小雨の中、車を走らせていた時のことである。交差点で信号待ちをしていた時、横のバス停に傘も差さずに立っている若者がいた。小雨とはいえワイパーが必要な程なので、傘を忘れてしまったのだろう。数秒後、傘を差した若者がバス停の横に来て、先に並んで立っていた若者と少し距離を開けてバスを待ち始めた。傘を持たない若者はじっと下を見続けてバスを待ち、傘を持った若者は真っ直ぐ前だけを見て立っている。声も掛けず傘を差し出す訳でもなく、微妙な距離を保ったままの二人。数秒後に信号が替わったので、私はその場を離れたが、「傘に入りませんか?」のひと声で、バスを待つ間の気まずさも無くなると思う。これが今の若者たちの「距離感」なのかもしれないが、何とも寂し姿ではないか。ちょっとだけ隣りの人に心を向けたら、声を掛けたり傘を差しだす等の思いやりが始まると思う。
 1517年11月1日、ルターの住むヴィッテンベルクでも、ついに教皇の免罪符が販売されることになった。聖ペトロ大聖堂建築という名目があったにせよ、実際は教皇の浪費による借金返済や販売人の途方もない利益のために、「免罪符という商品」が売りに出されたというに過ぎない。しかし「許しと救い」を求めている人々には、自分だけに留まらず「死んで煉獄で苦しむ両親を救える」と聞けば、免罪符を買い求めたいと思うのは必然であった。販売開始前日の10月31日、ルターは免罪符の効力について討論のために95か条に亘る提題を城教会に張り出した。主要点は「①聖ペトロ大聖堂建築のための出費への異議、②煉獄に対する教皇の権力の否定、③罪人の幸福とは何か」であり、救いを求める人々が「免罪符」ではなく「福音」によって救われていることを伝えるために討論を求めたのであった。こうして後に「95か条の提題」と言われ、教会を、世界を変える出来事「宗教改革」が歩み出したのだが、救いを求める隣り人への関心こそが「はじめの一歩」ではなかったか。
 明日、499回目の宗教改革日を迎える。カトリックでは今もこの日は宗教改革とは無関係に過ごす。改革された側としてはお祝い出来ないということかもしれない。しかし、500年を迎える来年には、ルーテルとカトリックが合同で行う行事の準備が進んでいる。はじめの一歩となることを大いに期待したいものだ。

« 隠ぺい | トップページ | 後の祭り »

真間川のほとりで」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く

コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。

(ウェブ上には掲載しません)

« 隠ぺい | トップページ | 後の祭り »