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2016年9月11日 (日)

助け手

 「聖壇のアジサイの花が縮(ちぢ)れてしまった」と妻が慌てていたのは、日曜日の礼拝前。この季節には珍しい白いアジサイ。緑の聖壇布とのバランスも良く、気持ちよく礼拝を迎えられるはずだったのに、縮れた花では飾れない。花屋さんに電話してみると、生き返らせる方法はあるという。「縮れた花をバケツなどの新しい水の中で根切し、縦に切れ込みをいれる。次に花と茎の全体が入るようなもの、例えば浴槽などに水を張り、茎と葉を入れる。通常はそれでよいが、できるだけ早くということなので、花の部分も濡れた新聞紙でくくるむと花びらも水を吸うので短い時間で生き返る。」と教えていただいた。言われた通りの処置をして三時間、礼拝には間に合わなかったが、見事に生き返ったアジサイを礼拝後に見ていただくことができた。植物の生命力の逞しさを思うと同時に、縮れて見栄えが悪いと諦めずに助けがあれば生き返るのである。ただし、枯れたものについてはその限りではないが。
 パラリンピックが始まった。開会式で聖火リレーのランナーが転倒、トーチを落とすというハプニングがあった。すぐさまスタッフがサポートに駆けつけ、次のランナーへと繫ぎ無事に点火された。大会は22競技で12日間続く。テレビ放送も行われるようなので、オリンピックとはまた違った興奮を与えられると期待しているが、同時に選手たちを紹介する映像をみていて、フト日曜日のアジサイのことを思い出した。障害のゆえに縮こまった生き方から、義手・義足・車いす、そして沢山の助けがあって生き返っている姿は、あのアジサイと同じであり、助けがあれば再び「生」と取り戻せるのだと。それだけではない、「独りでできる」と思い込んでいる私にも、実は見えない(気付かない)けれども沢山の助けがあって、今を生きることが出来ているのだと。
 神は「彼に合う助ける者を造ろう。」(創世記2:18)とイヴを送られた。今もそしてこれからも神は全ての人間に「助け手」を送ってくださっていることに感謝したい。そして神は、花は枯れたら捨てられてしまうけれども、私たち人間は死によって肉体は滅びても、イエスの贖いによって死からも生き返ることが出来るようにしてくださっている。なんという恵みであろうか!

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