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2016年9月18日 (日)

目標を設定する

 都知事が替わって東京都中央卸売市場、通称「築地」の移転についての問題が次々と報道されるようになった。僅かな関係者しか知らなかった地下室と地下水、土で埋めることがもっとも安全とした結論を無視した経緯、そして建設費増額等々の問題、これまでは報道されなかったことが次々と明るみになっている。こうなると、更に隠された問題があるのではないかと疑心暗鬼になってしまう。この先、どのような結論が出されるのか素人には予測不能だが、何故このようなことになってしまったのかもきちんと検証してほしいと思う。
 報道を聞きながら個人的に思うことがある。新しい市場は築地の老朽化が激しくまた狭小であるがゆえに、これからの都民の食卓を守ろうと造られたはずである。しかし、いつの間にか目標が変わってしまったのではないかと思えるのである。つまり、「将来に亘って安心安全に食物を届けるために」ということが「見えないところはより低コストにし、2020年開催のオリンピックを成功させるために」となってしまったのではないか。本来の目標に戻り再検討されるのが望ましいが…。
 目標を設定することは決して悪いことではない。むしろそれが人を人として成長させる力にもなるし、時には生きがいにもなるだろう。しかし、目標はあくまでも目標であって、必要があれば設定を変更することもある。カルデヤのウルからハランに移り住んでいたアブラムは、75歳にして神に召され約束の地を目指して旅を始めた。定住の民から放浪の民へと彼の人生は大きく変わった。出エジプトの後カナンに定住していたイスラエルの民は周辺国の脅威に晒されていた。神は士師たちを立てて戦わせたが彼らの多くは軍人ではなく、神に召されることによって自身の目標を変えて国のために先頭に立った。パウロは熱心なファリサイ派であった。当時少数者であったキリスト者たちを迫害していたが、回心してキリストを宣教する者になった。彼の中の目標が「律法から福音へ」と替わったからである。これらの人々は確かに目標を変えざるを得なかった人々であるが、神のみ言葉に従うという一番大切なことを変えることはなかったことを忘れてはなるまい。
 変えて良い目標もあろうが、変わらぬ目標をこそ大切にして人生を送りたい。

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