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2016年8月14日 (日)

人生というドラマ

 リオで開催中のオリンピック、活躍する選手たちの模様が放送されている。前半を終わって予想以上の日本選手の活躍に、私もついテレビに見入ってしまう。若くして強国に渡り10年の努力の末に銅メダルをとったカヌー選手、難病と闘い手術を受けながらも銅メダルを得た水泳選手、腰に痛みを覚えながらも完璧な演技で金メダルに輝いた体操選手等々、彼らがこれまで歩んできた道が紹介されると、苦労が報われて本当に良かったと時にはもらい泣きしながらテレビに見入ることもある。
 そのように全てを出し尽くして良い結果を得られた選手がいる一方、力を出し尽くせず不満足に終わった選手もいる。またたくさんの競技があるにもかかわらず、テレビという媒体では取り上げられない競技もあり、その姿を見ることもなければ名前すら聞かないままの選手たちもいる。しかし、私たちが知らなくても一人ひとりにオリンピックという舞台に立つための努力や戦いがあっただろうし、テレビで紹介されずとも、またその舞台に立つことが叶わなかった多くの選手たちにもオリンピックを目指した熱い思いが、選手の数だけ存在することも確かなことであろう。まさにオリンピックという舞台を巡って繰り広げられている人間のドラマを、私たちはテレビの前で見せてもらっているのである。
 聖書を紐解くと、どの箇所からも神の恵みを見出すことが出来る。そして神が恵みを与えんとする人間にも、それぞれに人生がありドラマがあることを聖書は記している。神の約束に応えて未知の地へ旅立ったアブラハム、部族の救いのために一時奴隷の人生を強いられたヨセフ、異教の神々に心を奪われた王たち、救いのために選ばれた若い夫婦ヨセフとマリア、そして神の招きに従った弟子たち、字句の間から彼らの人生の一端を知ることができる。もちろん聖書に記されず、オリンピックを夢見ることもない市井の私たちにも人生がありドラマがあるのだ。
 それでも私は思う、有名無名に関わらず人生がドラマになるのはその人に関わり支える人がいるからではなかろうかと。まして神は私たちに寄り添ってくださっており、信仰者の数だけ信仰のドラマが存在するといえる。恵み豊かなキリスト者としてのドラマを、これからも続けられますように願ってやまない。

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