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2016年8月21日 (日)

四年

 4年前、私たちの教会は会堂の修復工事の最中であった。前年の10月に始まった工事は、基礎・外壁工事を終え、最後の内部工事が行われていた。天井近くまで足場が組まれ、ひび割れや屋根板のシミ取りなどの補修が行われていた。あの時、足場を使えば天井梁の大きなファンに手が届いたし、聖壇の十字架もスポットライトも簡単に取り外せた。だが、工事の終了のことしか頭になかった私には、ファンの老朽化のこと、電球の交換のことも念頭になかった。あれから4年、ファンは風量調整が利かずオンとオフの切り替えも出来なくなり、十字架の蛍光灯が切れてしまった。戻れるものなら4年前に戻って足場に上り修理したいものだが・・・。
 4年の努力が報われた選手、悔いが残った選手、様々な思いを残してオリンピックが閉会する。ひと言で「4年」というけれども、厳しい練習に明け暮れる日々が「4年」も続いたのである。勝敗、メダル云々ではなく、全ての選手とその家族・関係者の労に、盛大な拍手と心からの感謝を述べたい。その上で、2020年の東京オリンピックに向けて新たな決意を表する選手たちのこれからの4年を思うと、厳しい練習に耐えてでも出場したいという「オリンピックへの憧れ」を感じとれ、彼らのこれからの「4年」が充実したものであるようにと願わずにはいられない。
 イエス・キリストの公生涯は4年に満たない3年であったと言われる。何度も何度も福音書に触れている内に、「3年」という生涯であったことを忘れてしまっているが、僅か3年、されど3年なのである。イエスはその間にイスラエルの各地(恐らく千葉県と茨城県ほどの広さ)で、福音を宣べ伝え、十字架による救いを成し遂げてくださった。その僅か3年の生涯が世界を変える大きな出来事になったことを思うと、次の四年までに私たちにも変化があるだろうし、なすべきこと出来ることもきっと沢山あるのではなかろうか。
 オリンピック開催地の反対側で、空爆され瓦礫となった中から血だらけの5歳の子どもの救出映像が放映された。感情すら失った幼い子どもの姿が痛々しい。次の大会には世界中の人が平和を楽しむスポーツの舞台となっていて欲しい。決して無理ではないはずだ、キリストの生涯に比すれば未だ「4年」もあるのだから。

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