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2016年7月17日 (日)

奪い合う

 先日、英国のロックバンド、ビートルズ来日50年を記念して、いろいろな報道がなされていた。その中でビートルズと親交のあった音楽評論家湯川れい子さんのインタビューがあった。「Love(愛)&peace(平和)を彼らは大切にしてきた。しかし今は『奪い合い(奪い取り)の世界』で、彼らの願いの世界になっていない」と語っておられたが、確かにそうだと同感できる。領土の奪い合いの先に戦争が起こる。所有物を奪い合うところに憎しみや争いが起こり、弱者の存在や権利を奪い取ることで抑圧・虐待が発生する。
 大きな事柄だけでなく、日常の中でも奪い合うことや奪い取ろうとすることから悩みや苦しみ、不満や不安が日々生じている。保育園児が「○○ちゃんがいきなり取った」とケンカになる程度なら可愛いものだが、遺産の奪い合いは遺族同士の憎しみ合いに発展し、敷地などの権利の奪い合いは隣人・住民の問題に発展していく。奪い合うことで多くの人が辛い人生を送らなければならなくなり、そして奪い合うことで起こった争いで数えきれない程の人間の人生(命)が失われてきたのは事実である。
 「兵士たちは、イエスを十字架につけてから、その服を取り、四つに分け、各自に一つずつ渡るようにした。」(ヨハネ19:23)兵士たちはイエスの服を奪い取ったが、人としての尊厳とこれまでの歩みを奪い取ることでもあった。十字架が人としての存在を否定する行為だからである。服を奪い合ったが、結果的にそれはイエスの全てを奪い取ることになったのである。彼らだけが責められているのではないだろう、人は全て「奪い合う」という存在なのだろうから。神様は人を「すべての海の魚、空の鳥、家畜、地の獣、地を這うものすべてを支配させよう。」(創世記1:26)と創られた。奪い取るためではなく治めるために、奪い合うためではなく分かち合うために、人をあらゆるものの最後に神様は創られたのだと思えてならないが・・・。
 「見よ、兄弟が共に座っている。なんという恵み、なんという喜び。」(詩編133:1)互いを慈しみ共存することの喜びがある。それは分かち合う心があって生まれるものだと思う。奪い合う世界よりも、分かち合いによって生まれる平和を願おう。

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