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2016年5月 1日 (日)

想定外とは

 熊本地震が収まらない。体に感じる震度1以上が既に1000回を越えている。東日本大震災で収まらない振動を経験した私たちだが、あの時ですら1000回を超えることはなかった。まして地震がいつ収まるのか分からない状況では、先の見えないことへの不安でいっぱいなのではないだろうか。地震の専門家ですら「こんなに続くことは余り経験がなく想定外の地震である。」という。地震そのものが想定外の中で、人々の不安を思うと、早期の終息を願うばかりである。
 その熊本から直線にして約100㎞の所に薩摩川内市がある。ここには日本で唯一稼働中の原発がある。事故があった時の避難経路すら明確でない原発だが、想定外の地震が続く状況にあっても停止はしないという。それは原子力規制委員会の見解が「想定外の事故が起きるとは判断していない。」(29日朝日新聞朝刊)ということであり、その判断の根拠は、M6.1クラスの直下型地震が起こっても、それに耐えうるだけの構造になっているからだという。しかし、たとえ地震に耐えうる建物であったとしても、福島原発のように想定外の津波によって破壊されることもある。まして地震は建物が壊れないとしても内部を壊滅的にしてしまうものである。制御装置やコントロールする電子機器などが振動で被害が出ないとはいえない。建物は無事でも部屋の中はグチャグチャということは誰もが知っていることである。そもそも「想定外は起こらない」という日本語自体が成り立たないのではないか。なぜなら、想定出来ないから想定外なのであって、だから「想定出来ないことは起こらない」というのはありえないではないか。まして災害の殆どは想定外の出来事だということを考えると、ここは原発を停止して地震の動向を見守るのが最も安全な道ではないかと思うが・・・。
 20代までガリラヤのナザレで過ごし宣教を開始されたイエスに向かって、故郷の人々は「この人だ大工の息子ではないか。」(マタイ13:55)と受け入れなかった。エルサレムに子ロバに乗って来る人が王であると誰が思っただろうか。十字架で死んだ人が救い主だと誰が気付いただろうか。死んだ人が復活をするなどと誰が想像しただろうか。そう、イエスの出来事、神のなさることは全て想定外なのだ。だから私たちは祈るのである、「神様が良しとされることを成してくださるように」と。

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