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2016年5月22日 (日)

過去から未来へ

 「『時は満ち、神の国は近づいた。悔い改めて福音を信じなさい』と言われた。」(マルコ1:15)イエスはこう述べて神の国の宣教を開始された。現在使っている式文が「罪の告白(懺悔・悔い改め)」から始まる理由がここにある。新しく検討されている式文は、更に遡り「神の招きが罪の告白へと導く」ことを強調しようとしているが、冒頭に挙げた聖書の言葉を表現しているといっても過言ではない。また「罪の告白」があるからこそ、次の新たな歩みに向かうことが出来ることを、私たちは礼拝を通して体験するのである。
 今週末、伊勢志摩でG7サミットが行われ、来日する米大統領はその前に広島を訪問する予定と伝えられている。18日の朝日新聞の次のような記事に目が留まった。「今回のオバマ米大統領の広島訪問に対し、日本では日米関係の強化や核廃絶へのステップといった『未来志向』の意味づけばかりが強調され、深い歴史的な問い掛けがかき消されてしまっています。『謝罪ではなく追悼』と主張する米国をおもんばかるように、日本国内の反応も『来て感じてくれるだけでいい』と遠慮がちです。(中略)日本が謝罪を働きかけるチャンスのはずです。実現できなくても、そこに対話が生まれます。ただし、相手に謝罪を求める以上、当然、あなたはどうなんですか、と反問されるでしょう。原爆投下は戦争の最後の局面で起きたことです。そこに至るまでに、日本は何をしたのか。原爆という被害と、アジアへの加害と、二つの歴史認識問題は切り離せない関係にあります。日本が反省を示してこそ、米国に反省を促し、世界の国々から共感を得られるのです。(中略) オバマ氏に原爆投下の謝罪を求めることは、日本が米国と対等に付き合い、同時にアジアへの加害と向き合い、戦争について平場で議論するきっかけになり得るのです。せっかくの好機を、逃しつつあるように映ります。」(成田龍一)未来志向を否定するつもりは毛頭ないが、そのためにも先ず「始まり」と向き合わなければならないと思う。
 神が私たちを招いてくださるのは「一人も滅びないで皆が悔い改めるように」(2ペトロ3:9)と願っておられるからだ。だから私たちも今、自分が何者であり、何をしたかを見詰めた上で、悔い改めて許しを頂き、明日への歩みを始めたいのである。

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