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2016年5月 1日 (日)

人の心の危うさ

 (ヨハネ14:23-29,黙示21:22-27,使徒14:8-18)
 福音書の日課の27節に「私の平和を与える。」とある。イエスの与える平和とは何だろうか。平和の反対語で先ず思い浮かぶのは戦争である。戦争は私たちに恐れや不安をもたらし、平和をかき乱すものにほかならない。
 熊本では1000回を超える振動が続いている。ラインは復旧し始めているが止まない地震は混乱や不安を与え続け、未来を描くことができない状況に置かれ続けている。遠くに住む私たちにもできる支援があり、それを通して少しでも恐れや不安を取り除かれるようにと祈っていきたい。
 平和の反対語として混乱という言葉も思い浮かぶ。創世記1章は混沌(カオス)が描かれ、神が言葉によって秩序を置き平和が訪れる。キリストもまた神から世に送られ平和をもたらされる方である。「キリストはわたしたちの平和」(エフェソ2:14)その平和を神はイエスと共に私たちと共に住むことで実現してくださる。ルターはこう語る、「主はあたかも、こう言われているようだ。『私たちは毎日、あなたの客となろう。そう、あなたの家の食卓に加わろう。』と」ここに平和がある。だから私たちにとって大切なことは、イエスに結びついていることであり、信頼して生きることである。
 しかし、この世には平和を力によって得ようとする思いが溢れている。紀元前600年頃、エルサレムの町は偽預言者や祭司が横行していた。エレミヤはその様子をみて滅亡の近いことを預言したが、紀元前588年についに南王国ユダは陥落してしまった。エレミヤが神が与えてくださる真の平和を求めるように予言したにもかかわらず、人々が求めたものは安価な平和でしかなかったのである。いつの時にもそれが人を惹きつけてしまう。人の心はいつも危うさに曝されているが、安価な平和ではなく真の平和を私たちが見分けられるように、神は聖霊を送ってくださると約束してくださっている。
20160501  この聖霊(弁護者)は弟子たち(私たち)の教師として働き、イエスが教えてくださった全てのことを思い起こさせてくださる。聖霊はまた慰め、もしくは励ましを携えて来てくださるのである。危うさに曝されている私たちの心であるけれども、聖霊によって平和の賜物をくださり、恐れと不安を克服することができるようにしてくださる。力強い聖霊に導かれ日々の歩みを続けたい。

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