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2016年3月13日 (日)

神様からの委託

 (ルカ20:9-19,フィリピ3:5-11,イザヤ43:16-28)
 大地震と大津波、原発の事故から五年。今も復興の作業は途上であり、避難生活を続ける人がおり、震災の傷が癒えぬ人々がいる。今、震災から復興を成し遂げようとしているけれども、同時に「忘れてはならない」と語り部の働きを多くの方が続けている。広島・長崎の原爆被害や沖縄戦のことについて、今も多くの方が(中には二世の方も)語り継ぐという役割を担っている。
 語り継ぐことをイスラエルの人々も大切にしてきた。子どもたちと食事の席でトーラー(律法)を唱和することで語り継いでいったし、イエスの働きも語り継がれてやがて聖書として整えられる。さて、今日の日課のブドウ園の譬えをどんな思いで人々は語り継いだのだろうか。
 譬えは実際の何かのことである。ブドウ園はイザヤ書5:7によれば「イスラエルの家は万軍の主のブドウ畑」と記されていることから、イスラエルの国を指している。ブドウ園はこの主人が造ったとあるのだから、主人は神を指す。そこから農夫とはイスラエルの民と理解される。
 ところで農夫の苦労とはどのようなものか。暑さ寒さの中で管理し続ける苦労を思うと大変だっただろう。持ち主が僕を送ってきた時に、報酬について不満足だったのかもしれない。だから袋叩きにして追い返す。翌年、再び僕が送られてくるが、これも侮辱も加え袋叩きにして追い返す。更に翌年に送られた僕には傷を負わせて帰らせる。辛抱強い主人は更に息子まで送る。すると農夫たちは殺してしまえば自分たちのものになると考えたという。(実際に主人が帰らなかったりすれば、農夫のものになるということはあったからである。)そして息子を殺してしまった。ここまで来るとさすがの主人も農夫たちを殺してしまうだろう。譬えを終えた時、ハッとした人々がいたようである「そんなことがあってはなりません。」と遮ろうとした人々がいたからである。
20160313  その人を見詰めたイエスは「家造りらの・・・」と言われる。その眼差しが語るものは、裁くことがこの譬えの意味ではなく、捨てられたように見える息子(イエス)の働きこそが、イスラエルに救いをもたらしてくれるのだと言っておられるのである。神こそは見捨てられないし、裏切る私たちの礎となってくださるのである。
 祭司長たちは悔い改めることなくイエスに手を下そうとしたが、ダビデ王のように罪を悔い改める時に、神の恵みをいただけるであろう。

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