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2016年3月 6日 (日)

捨てて知る真実

 (ルカ15:11-32,1コリント5:1-8,イザヤ12:1-6)
 二人の息子と父親の譬えである。一般には「放蕩息子」の譬えで知られている。弟が父に財産分与を申し出るが、①分与の話は父からすべきもの、②まして弟が先に申し出るということはおかしく、③財産分与は死に際のことなので、弟は父を死んだものとしているのと同じということになる。所で弟の申し出は「財産(ウーシア)」であった。それは「存在しているもの」のことであり、父に属する全てということだったが、父が与えたのは「財産(ビオス)」であって、「人生、生活に必要なもののこと」で、父は今すぐに分け与えられる生活資金を二人に分け与えたということになる。
 さて弟は自分の財産をもらったけれども幾日もしない内に遠くの地で散財した。ついに豚飼いという最悪の境遇に陥ったが、彼に食べ物をくれる人がいなかった。彼は豚以下に扱われたということであり、その困窮の姿に神の激しい怒りが示されている。飢えて死にかけ、父の前からも失われようとしていたそこから彼は立ち上がる。父の下に戻ることを思う。初めて彼は父に対して罪を犯したことを認め、父を捨て盗人となってしまったので雇人の一人にと言う。
 父は弟を遠くから見つけ、「哀れに思い」駆け寄ってくる。目上の人や身分の高い人は走り寄らないので、父親の深い愛情が分かる。それだけではない。父は最上のもてなしをする。①最上の着物=最高の客としてもてなす。②指輪=自分の一歳の権威を与える。③履物=相手に自由な行動を許す。以上の意味を持っていることからも歓待の姿が分かる。
20160306  兄はどうだろう。弟が帰ってきて父親が歓迎の宴会を催していると聞いて、憤慨して家の中にろうとしなかった。父が傍らに来て慰める。兄は確かに父の戒めは破らなかったかもしれない。しかし今、父の慰めに反抗することで父の優しい命令を破ろうとしている。何年もの間、弟の分まで働いてきたのに、家を捨てた弟は子牛でもてなし、私には子牛より劣る山羊すらくれなかったと不満を言う。弟は父の生活費の一部ももらっただけだったが、兄はやがて父の財産を受け継ぐ。また当初に分け与えられた生活費で友人と楽しむこともできたし、父の財産である家畜から一匹もらうこともできたし、それによって父を喜ばすこともできたかもしれない。しかし兄はそれをしなかったし、弟は放蕩ということがあったにせよ、今、父を喜ばしているのである。弟の身勝手さ、兄の頑なさがあっても、それを捨てたところに神の真実は必ず見出せるのである。

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