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2016年1月31日 (日)

断水

 西日本各地は先週の始めに寒波に襲われ、水道管が凍結し破裂。その結果断水状態が続き困窮しているというニュースが、先週ずっと流されていた。そして断水は今も復旧せず続いているとも聞く。生活のあらゆる場面で水は欠かせない。体や衣服、食物を洗い、人間を始めあらゆる動植物を生かす、つまり命の源となる。だから宇宙に存在する他の惑星で命の存在を探そうとするなら、先ず水の存在を探すことになる、水が命の源だからである。そうそう、宗教的儀式で断食をする際も、水と塩だけは摂って良いことになっている。それほどに大切で源なる水なのだと、断水で苦労しておられる方々のニュースを見ながら思うのである。
 イスラエルの民がエジプトを出てエジプトの兵士たちを葦の海で振り切り、約束の地ユダヤに向かった。彼らが最初に踏み出した地は荒野であって、三日間歩き回ったが人々は水を全く得ることができなかった。やっとマラで水を見つけたが苦くて飲めなかった。民の不平を受けモーセが主に向かって叫ぶと、神は1本の木を示された。そこで木を水に投げ込むと、水は甘くなった。(出エジプト15:22以下)更に進んでマナとウズラを食料としたが、再び水がない場所に来た。飲む水もなくなり、モーセを殺そうとまで殺気立った。神が告げられたのは杖で岩を打つことであった。その通りにすると、岩から水がほとばしり出た。(出エジプト17:1以下)荒野の中で命の源である水を与えられた民は、命を与えてくださるのは神であることを知ったといえる。
 イエスもまた言われた。「渇いている人はだれでも、わたしのところに来て飲みなさい。わたしを信じる者は、聖書に書いてあるとおり、その人の内から生きた水が川となって流れ出るようになる。」(ヨハネ7:37-38)体が水を必要とするように、命は神を必要としているのである。
 5年前の震災のおり、何度か電気が停まりガソリンを求める人で渋滞が起こり大変ではあったが、不便さは感じなかった。水がいつ通りに手に入ったからである。今回のことを機に、凍結対策も整備の一項目になることだろう。断水から一日も早く回復されることを願いつつ。

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