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2016年1月 3日 (日)

陽だまり

 例年になく穏やかな年越しであった。いつもなら自宅の仕事部屋のストーヴを全開している時期なのに、殆どスイッチを入れることもなく過ごしている。毛布生地のポンチョを羽織っているとはいえ、異常気象の影響といえるのではないだろうか。暖冬の年は雪が多いとデータにあるようだが、さてこれからの冬はどうだろう。
 我が家の飼い犬ウルも随分年を取り、12月末で12歳になった。人間の年齢に換算するとおよそ64才なのだという。ついに61才の私より年寄りになってしまったが、私の目にはいつまでも小さい頃のままだ。そんなウルだが、最近、陽だまりができると、用意されたクッションを引っ張り出し、そこで「日向ぼっこ」の時間を過ごしている。分厚い毛皮を身にまとっているけれども、寄る年波には勝てないのかも。ともあれあちらこちらとクッションを移動させながら、くつろぐ姿を通して陽だまりの気持ち良さを私に教えてくれている。
 「イエスはこの群衆を見て、山に登られた。腰を下ろされると弟子たちが近くによって来た。」(マタイ5:1)山上の説教(垂訓)と言われている箇所の冒頭の節である。人々が大勢押し寄せてきたので、皆から見え聞こえるようにと少し高い所に登られたというのである。腰を下ろされたイエスの下に弟子たちが、人々が集まってくる。イエスの周りにはいつも人がいた。特徴的なことは、当時は男性社会であり、女性や子どもが登場することは珍しい。しかしイエスの周りには女性や子どもも集まり、「イエスに手を置いて祈っていただくために、人々が子どもたちを連れて来た。」(マタイ16:13) 「ここに大麦のパン五つと魚二匹とを持っている少年がいます。」(ヨハネ6:9)等の箇所から、イエスご自身も分け隔てなく受け入れておられたことが分かる。イエスの周りは、いや、イエスご自身がまるで「陽だまり」のような存在なのだろう。
 修復工事を終えてから三年がたつ。工事中、近所の方が心配そうに「教会が無くなるんですか?」と声を掛けてくださったり、「いつ終わるんですか?」などと尋ねてくださったことを思い出す。この地域にとって、教会が「陽だまり」のような存在になれたら嬉しい。
 2016年の歩みが始まりました。今年もどうぞ宜しくお願いします。

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