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2016年1月17日 (日)

寄り添う

 23971人、この数字は昨年自殺した人の数である。6年連続で減少しており、25000人を割ったのは18年ぶりなのだという。減少しているのは喜ばしいことであるが、それでも2万人以上の人々が、自らの手で死ぬことを選んだという事実は重い。自殺の動機は健康問題、経済・生活問題、家庭問題が多く、東日本大震災関連での自殺は22人に及んだという。10代、20代の自殺も毎年3千人を数えるという。交友関係、いじめ、DV、ストーカーといった理由ではないかと想像すると、何とか周囲から救いの手が差し伸べられなかったのかと悔しい思いがする。
 自殺に向かう心理は、死を選ばざるを得ない状況に追い込まれているからだと推測されるという。ひとりで悩み、ひとりで苦しみ、ひとりだから「自死」という結論にたどり着く。その結論が何をもたらすのかも、きっと見えなくなってしまっているのだろう。そんな一人ひとりの苦悩を想像すると胸が詰まるようである。
 昭和初期、戸山教会(現日本基督教団信濃町教会)を創設したT牧師は、様々な軋轢に悩みうつ病を患い48歳で自殺した。信仰者が、しかも牧師が自殺するとはどういうことかと問われたものであった。私は思うのだが、信仰者もそして牧師も人間である以上、弱さの故に人間的解決方法に身を委ねることはあるだろう。牧師とて100%の信仰は持ちえないし、「うつ」という病気が加われば、自殺の道を選んでしまうかもしれない。クリスチャンに「喪中欠礼」はないとある牧師はいう。しかし、悲しみを悲しみとしてあるがままに受け止め、それを「喪中欠礼」と表現して伝えることは信仰にそぐわないことでは決してない。むしろ寄り添ってくださった方への報告であり、人として生きていることの証しではないかと思う。クリスチャンなら喜びに包まれるべきだから「喪中欠礼」はないと言えるのだろうか。信仰者は神に与えられた命であることを知っているのだから決して自死を選んではならないと断定できるのだろうか。結果ではなくて、信仰者に必要なことは寄り添ってくださる方、イエス様を思い起こすかどうかがいつも問われているのではないか。
 自殺予防で大切なことは何でも話せる関係をもつことだという。私たちには主がおられることを、どんな時にも思い起こす信仰に感謝したい。

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