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2015年12月27日 (日)

真理を見分ける

 (ルカ2:25-40,ヘブライ2:10-18,エレミヤ31:10-14)
 クリスマスについて記された聖書の箇所を読む度に、喜びよりも不思議と驚きに満ちていると言える。そして不思議と驚きの先にあるものが、心からの喜びになるのではないか。
 シメオンは「主が遣わすメシアに会うまでは決して死なない」とのお告げを聖霊から受けていたが、その理由は正しい人で信仰が篤かったからと読み取ることができる。彼に告げられたのはいつのことで、彼はそれを聞いてどう感じたのだろう。メシアがいつ来るか分からないのである。分からないけれども、会うまでは死なないのだという。私ならどうか。気にして何も手につかないし、そのうち耐えられなくなってしまうのではないか。信仰が篤いというのは、このお告げに耐えられ、信頼して生きることができる人ということである。そこに神のドラマが起こるのである。
 シメオン(主は聞いた)は敬虔な人で、慰めを待ち望んでいた。慰めとはかつては捕囚から解放されて帰還することがイスラエルの慰めであったように、今は神殿で救いの到来が慰めであるからである。もう一人の女預言者、アシュル族(幸福な)で、ファヌエル(神の顔)の娘アンナ(ハンナと同じ語、恵み)は7年間夫と生活したが先立たれ、84才まで神殿で礼拝して暮らしていた。女の人生にも寄り添ってくださった神との歩みがある。聖なる家族がいる。6週間目に母親の清めの儀式のために神殿にやってきた。神様はこの三つの人(家族)の道を、今、神殿で交差させたのである。換言すれば、聖霊によってこの世に生み出されたイエスの登場と共にシメオンとアンナが待ち望んでいた慰めが実現したのである。
20151227  シメオンはイエスを両腕で受け取る。それは神の交わりにシメオンも招き入れられたしるしである。そしてイエスの使命について「倒したり立ち上がらせたりする」と告げる。死んだ後に生き返ることや回心のことを想起することができる。イエスは倒すだけなのではなく、起き上がらせるために倒すのだと語られているシメオン、アンナ、マリアの交わりは、神が真理を告げるために会わせられた「時」であった。不思議さや驚きの上に真理があり、また倒れ伏すそこに真に立ち上がるための力を神が与えてくださるのである。彼らから祝福をされ、マリアとヨセフはナザレに帰っていった。私たちも祝福されて帰っていこう。

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