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2015年12月 6日 (日)

神の言葉が降る

 (ルカ3:1-6,フィリピ1:3-11,マラキ3:1-3)
 神の言葉がアブラハムに語られたことによって彼は出かけ、イスラエルの民となった。神は言葉をもって「モーセ」に呼び掛けられ、サムエルを呼び、王たちが異教の神々に惑わされた時には預言者を立てて神の言葉で戦わせ、捕囚の先では神の言葉を与った預言者たちに励まされ、再建の民に預言者を通して神の言葉で整え、そしてマラキを通して、終末の時を告げられた。あれから神の言葉が臨むことはなかった。
 今日の日課に、神の言葉が降ったと書かれている。あれから4~500年たって、今、起こったというのである。ルカの福音書全体が、神の言葉が臨んだことから始まる。ザカリヤ、エリサベト、マリヤ、シメオン、アンナという女預言者に、直接あるいは彼らを通して救い主の誕生が語られる。こうして神の言葉が臨むのであるが、まだ個人の所にとどまっているが、ヨハネに降ることによって神の言葉は広まっていく。
 日課には多くの人が登場するが、歴史的出来事であることを強調するためである。大祭司についての描写もある。当時の大祭司はカィヤファ、その義父アンナスはまだ影響力があった。大祭司たちの言葉は陰謀をたくらむ最高法院に臨むが、神の言葉は一人の正しい祭司の息子ヨハネに臨む。神の言葉は神の前に正しく生きる人を通して実現するからである。
 神の言葉が預言者に臨むことは数百年起こらなかったので、ヨハネの上で起こったことはとても大きなことであった。新しい何かが起こることを予感させるのである。ところでヨハネが行っていたのは「悔い改めの洗礼」であった。ヨハネの洗礼は回心の洗礼であり、罪の赦しをいただくためのイエスの洗礼が必要であるなのである。
20151206  ヨハネの役割は、イエスの道を整えることであったが、かつて神殿が再建されたように、今荒野に父なる神の王国が建ち上がることを示している。王国をもたらす方こそイエスであり、イエスが歩まれるために最初に道を整えたのは、神の言葉を誠実に受け止めたマリアであったことを忘れてはならない。そして更に神の言葉がヨハネに降り準備させるのである。神の言葉が降った、道なき場所、人々の苦悩が集まる荒野に、私たちの涙が流される所に。

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