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2015年11月 1日 (日)

転換点

 あるコマーシャルのこと。7~8歳くらいの子どもたちが映し出される。そしてナレーターの声、「誰が知っているでしょう。この子たちの誰かが世界を変えていくかもしれないことを。海をきれいにしたり、国のリーダーになるかもしれないことを。ある子は歴史に名を刻むアーチストになったり、学校を作ったり、新しい世界を探検したり、発明家になるかもしれないことを。今は未だ誰が世界を変えるかわからないけど、私たちはそんな可能性を秘めたみんなの力になり続けたいのです。」と。どの子にも未来はあるし、その子に相応しい未来が訪れるようにと願わずにはいられない。だが、子どもたちが素敵な未来に到達するまでには、いくつかの転換点が訪れることだろう。ただし、その転換点を知るのは、何十年もたってからのことになるが!
 1505年のある日、法学を学び始めた一人の青年が、帰郷のためにシュトッテルンハイムの野を進んでいた時、突然の雷雨に襲われ、そして稲妻が下り彼は地面になぎ倒された。死の恐怖の中で「聖アンナ様、お助けください。私は修道士になります!」と叫んだ。その青年こそルターであった。この地に今、「歴史の転換点」と刻まれた石碑が建てられているというが、当のルターはもちろん知る由もない。
 彼の落雷と誓願の出来事が「歴史の転換点」とまで刻まれるようになったのは、彼が気付いた「神の義」の意味にある。善い行いをなすことで神に義とされるのではなく、神ご自身がなされたことが義なのだということであり、それは当時の教会が販売していた「免罪符による義」とは全く異なるものだということであった。そこに到達した彼は、1517年19月31日に95か条からなる討論の呼びかけを行ったのである。この提題は広く社会に広まり、遂にはこの日がカトリックという大きな権力からの解放、宗教の転換点となったからこそ、落雷の誓願が「歴史の転換点」となったのだ。
 自分の人生を振り返ると、「あの時が」という転換点はいくつかある。換言すれば転換点とは今は分からないということでもある。だとすれば、年齢に関係なく「転換点」はいつでも起こりうるということだろう。人生を振り返る老後を迎えた時に、「あの時に選んで良かった」と受け入れられるように転換点を過ごしたいものだ。

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