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2015年11月15日 (日)

明日のために

 (マルコ12:41-44,ヘブライ9:24-28,列王上17:8-16)
 日本製の飛行機の初飛行のニュースが流れた。計画が始まったのは7年前だという。飛行機好きな人には大きなニュースだったかもしれないが、私は関心がなかったのでそのことは知らなかった。ただ、7年前に私たちの教会には大きな出来事があった。会堂が登録有形文化財に登録されたのである。10月23日に正式に登録され、会堂の修復保存という動きになっていった。7年前ですら私たちの記憶はそんなものだから、50年も前のことならどうだろうと思う。しかし、50年前のことであっても、自分に関わりがあること、大きな変化があることなら、きっと記憶にあるだろう。入学、就職、結婚、事故、死別等・・・。
 日課の出来事は小さな出来事である。何故、この出来事が人々の中に記憶されていったのか。マルコは何を基準にこれを福音書の中に記したのだろうか。
 日課の前の箇所には、律法に精通しているはずの律法学者が、神のみ旨からは最も遠いところにいたという批判がある。神への捧げものは大きければ大きいほど神に喜ばれると考えていたからである。それはイエスの思いからは最も遠いところにあるもので、だから全てをささげた貧しいやもめのエピソードがここに置かれている。最小のものではあっても、彼女は最大のものを捧げた、何故なら彼女は生活費のすべてを捧げたからである。そのことに誰も気づかなくとも、神は見ておられ、その献金がどれほど彼女に大きな意味を持っているかを知っておられるのだと告げているのである。
 彼女が捧げたものは自分自身であった。それは信仰の決断に通じるものである。マルコがこの小さい出来事を書き残した意味がそこにある。信仰の決断をした彼女のことを、書き残したのである。
20151115  マルコ福音書の著者マルコ自身がキリスト者として生き、かつキリスト者として明日を生きようとしている。明日を生きるキリスト者たちに、マルコはこの女性の捧げる姿を示して、たとえ小さくとも神がご存じであることを知らせたかったのではないか。明日のことを神に委ねて生きた女性のことを知らせたかったのである。だからこの出来事は決して小さくなく、弟子たちの群れの明日の方向性を決める、大切な大切な出来事だったのである。

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