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2015年11月 1日 (日)

堅固な土台

 10月31日は宗教改革記念日、東教区でも記念礼拝が行われた。説教者はルター研究の第一人者徳善義和先生で「変わらないもの、変わるもの」という説教題であった。宗教改革の出来事を考えるとき、変えてはならないものと変わっていくものとを再考した時でもあったといえる。聖書でいえば、原典であるギリシャ語聖書(ヘブル語聖書)は変わらないが、翻訳したものは変わるものであるといえる。事実ルーテル教会でも、文語訳と口語訳、そして新共同訳聖書と承認しているが、翻訳の違いによる変化がたくさんあるという具合だ。ともあれ、ルター自身が強調したことは、大切なこととどちらでも良いこと(変わるもの)をはっきりするということであっただろう。
 日課はイチジクの木への呪い、その話の間に神殿崩壊の預言が記される。二つの話を関連付けようとしてこのような構成にしたのである。つまり、枯れたイチジクの木の出来事は神殿への裁きの象徴と捉えられるのである。この出来事は福音書の中で唯一の呪詛奇蹟である。イチジクの季節ではないのだから実がないのは当たり前なのに、イエスはなぜ呪いの言葉を発したのだろうか。その季節ではなかったということを敢えて記しているのは、神に立ち返る時期を逸してしまっているというこを意味し、実をつけていないイチジクの木によってイエスの到来に対する備えが全くできていないことを示している。また根元から枯れたいちじくは、根元から腐っている神殿、本来の機能を失ってしまっている神殿を象徴しているのだろう。
 祭りの時に各地から神殿にやってくる人々は犠牲を用意するが、たいていは不合格で持ち込めないものとされた。しかし、神殿内で買えば検査は受けないで済む。ただしその値段は2~30倍し、利益は利権者大祭司アンナス大祭司のものとなっていた。イエスは、神殿が聖なる場所であることを示され、更には神殿の崩壊を預言されたのである。またそのことを通してイエスは弟子たちに「信仰と祈りと赦しについて」教えられた。つまり、神殿の祭儀よりもまず第一に神へ信頼すること、疑わないで信じることが大切である。そして神にささげる祈りは「願い、感謝、賛美」であり、疑いがはいり込む余地はない。
20151101_3  「信仰のみ」と言いつつも、そこで生ききれない私たちがいる。そのような私たちだが神は変わらずに見つめ、導いてくださっており、その神の支え、聖書の言葉を土台として歩んでいこう。

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