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2015年10月18日 (日)

心を奪うもの

 (マルコ10:17-36,ヘブライ3:1-6,アモス5:6-15)
 2017年にむけて様々な企画が行われる。全国に配られるバナーには、ルターの肖像画が描かれ2017年をアピールする。ところで、シュトッテルンハイムという町をご存じだろうか。そこに石碑が建てられていて、「歴史の転換点」と刻んであるという。そこはルターが帰省途中に落雷に遭い、「聖アンナ様、お助けください。私は修道士になります!」と叫んで助けを求めた所である。その言葉通り二週間後に彼は修道院の門をたたくのだが、ルターの生涯を変えただけでなく、西欧社会の在り方をも変えたということで、「転換点」として記憶されているのである。
 日課には一人の男が登場する。金持ちであり彼の明日は、彼の財産が保証してくれていた。彼は律法を守る忠実なユダヤ人であり、神の救いを得られるはずであった。彼は誠実な人であった。だから律法を守っているにもかかわらず、不安であった。だから彼はイエスの所に来たのである。イエスに、自分の中の足りないものを示してもらおうと思ったからである。1500年後、ルターも救いの確信が得られず悩んでいた。二人とも足りないもの探しをしていたのだ。
 イエスは慈彼の誠実さ、真剣さを慈しまれ、彼が求めてやまない答えを与えるた、「欠けているものが一つある。財産を売り払い、施すこと」であり、彼には到底実行できないことであった。「持っているものを売り払ってイエスに従う」という命令は、多くの人にとって不可能である。まして彼には「富」は神の祝福のしるしと思っていただけに、イエスの要求は驚きであっただろう。イエスが言われていることは、「富」が救いの達成の妨げになるのではないが、彼の場合は「富」が救いの達成の妨げになっていると言われ彼はその招きに従うことができなかったのである。大きな転換点を逃してしまったのである。ルターは「人間が最後まで手放さないものがその人の神である」といったが、まさに財産・律法が彼を守っており神ではなかったのである。
 当時の富は神の祝福のしるしであったので、弟子たちにも「神の祝福を受けて富を築いた者が、どうして神の国に入るのが難しいのだろう」という驚きがあった。富があれば物質的な生活は安定するが、その分、神への感謝の心を失う危険も増大する。何より救いは徹頭徹尾神の賜物なのだとイエスは言われる。
20151018  弟子たちは彼と違い何もかも捨てて従っていると言いたいのだろうが、根本的にはイエスのもとにきた金持ちの男と変わらない。彼らのもつ「何もかも捨てた」という自負は、救いには何の意味もないからである。救いは神のみが与えられるものだからである。与えられた救いを感謝し、主に従っていこう。

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