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2015年10月11日 (日)

神が結び合わせた

 (マルコ10:1-16,ヘブライ2:5-9,創世記2:18-24)
 るうてるホーム創立50周年に参列してきた。ホームの理念は「利用者おひとりおひとりを大切にし、誠実に仕えることの実践」と伺った。ホームに入所される一人ひとりを見つめるということ、そのためにどのように施設を整えるか、どのように職員を育てるか、何が必要かを考え、実践していくことである。そしてもう一つ忘れてならないこと「神が備えてくださること」を信じていくことが、キリスト教施設の大切な理念である。るうてるホームの歩みは、まさに「神が備えてくださった」ことを実践してきた歴史でもあった。
 今日の日課は離婚が取り上げられている。ファリサイ派の人々は何を見つめていたのだろう。当時でも離婚はある一定の条件を満たす時は律法で認められていた。それを知った上で、「夫が妻を離縁することは、律法にかなっているか」と聞く。離婚は認められないという答えを引き出したいのである。そうすることで、イエスの教えとモーセの律法との矛盾を指摘し、イエスを窮地に立たせて訴える口実としたいのである。
 イエスは、「離婚は結婚の問題である」ことを明らかにする。離婚規定は「頑固な心」に対する譲歩として設けられたものにすぎず、神が定めた秩序である結婚を大切にすべきことなのであり、人間の都合で左右できるものではないというのがイエスの答えである。離婚をモーセが認めたのは、神の本来の意図ではなく、神の側の寛大な譲歩なのである。本来の申命記の規定は、弱い女性を守るためのものであり、父親の意志で結婚させられた女性に、男の身勝手さを幾分でも緩和させようとしたのがこの規定ということである。
20151010  弱い女性を守るということから、また子どもという存在にもイエスは目を向ける。子どもは律法を理解できないから大人より劣っているという当時の社会に対して、イエスはこどもこそ天国に入るそんざいだという。天国に入るには一定の条件があり、その条件をかなえているものが天国に入る資格があると考えられているが、イエスは「子どものように神の国を受け入れる」という言葉によって、彼らの前提を無効にされる。即ちこの世的な価値判断に対する断固たる拒否をなさるのである。この世の論理でなく、神が選ばれ、神が結び合わせてくださる、即ち神の秩序こそが大切にされなければならないのである。この後、イエスはヨルダン川の向こうに行かれる、かつてエジプトから逃れてきた先祖が、ヨルダン川を渡って約束の地に入ったように…。神が豊かな恵みを備えてくださることを信じて、歩みを続けていこう。

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