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2015年9月13日 (日)

特別警報

 特別警報とは「大雨、暴風、高潮、大雪、津波、噴火、地震などで数十年に一度しかなかったり、危険度が非常に高かったりするような災害の発生が予想され、『ただちに命を守る行動が必要』と気象庁が判断した時に出す。特別警報を受けた都道府県は市町村へ通知し、市町村は住民に知らせることが気象業務法で義務づけられている。東日本大震災で大津波警報が迅速な避難に結びつかなかった反省などから2013年8月に始まった。」(朝日新聞より)2013年9月に福井・滋賀・京都に出された大雨特別警報を第一号にこれまで5回出されている。
 わが身に降りかからなければ、危機を危機とも感じないのが私たち。4年半前の震災は、確かに地震・津波、そして原発の危険を、身をもって感じさせられた。それなのに、背後から地滑りに襲われる可能性がある地に居ながら無警戒でいる私。そういう私に、「ただちに命を守る行動を取れ!」と、尻を叩いてくれている「警報」なのだ・・・が、私はそんなことも気にしないで過ごしてきた。身に降りかかるような災害に遭わなかったからだ。
 線状降水帯という気象現象により、同じ土地に次々と雨雲が襲い掛かる。市川もその線状にあり、豪雨に見舞われた。9日深夜から10日朝方の豪雨により、真間川が氾濫し道路は冠水したが、会堂は道路から1m程高くなっており、水が届くことはなかった。防空壕跡や聖壇下は地下水で水浸しとなってしまったが、これも修復工事で頑丈になっているので、今回の豪雨でも全く問題なかった。半世紀ぶりの道路冠水を招いた大雨は「特別警報」を出す必要があったと思うが、警報以前に日常的な注意と迅速な備え・対応をしておかなければと思った次第。
 「雨が四十日四十夜地上に降り続いた。(中略)およそ天の下にある高い山はすべて覆われた。」(創世記7:12~19)ノアの洪水物語の一節であるが、洪水の恐怖、全てを奪われる悲しみが描かれ、大雨に対する「特別警報」のような物語でもある。しかし同時に、この世のもの全てが奪われても、神の祝福は決して無くなることはないと告げる、祝福の「特別警報」とも言えるのではなかろうか。
 土砂崩れ、氾濫などの被害から一日も早く回復されるように祈ろう。

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