« 被爆伝承者 | トップページ | あれから »

2015年8月 9日 (日)

さあ、行きなさい

 (マルコ6:6b-13,エフェソ1:3-14,アモス7:10-15)
 夏、キャンプの季節。備えあれば憂いなしと、充分な準備をして臨む。信仰も十分に準備が必要である。ヘブライ人への手紙11章にはアブラハムの信仰が記されているが、創世記22章の出来事を通して主の求めに応じた時に、主は備えてくださるという信仰が記されている。つまり、信仰には人間的な備えを捨てるという「備え」が必要なのであり、それこそが信仰そのものと言える。
 福音書の日課は弟子の派遣であるが、当時いろいろな宗教が行っていた巡回伝道者の姿と同様である。弟子たちも巡回伝道を始めるが、内容は「悪霊の追放」と「福音の宣教」であり、イエスの働きと同じ内容である。また、二人が一組になって行動するのはユダヤ人の習慣であり、ヨハネの弟子たちも二人一組であったし、パウロも伝道旅行に際し最初はバルナバ、二回目はシラスと一緒に巡回伝道をしている。
 派遣に際して、イエスは弟子たちに「汚れた霊に対する権能」(汚れた霊を制する権威)と、「具体的な命令」(杖一本の他には、食べ物、お金も持たずに行け)を与えた。巡回伝道者から話を聞く者が宿泊の用意をし、必要な者は準備するというのが当時の習慣であったからだが、弟子たちは大きな決断を迫られた。物質的なことだけではない。家から家へ泊まり歩くなといわれている。より良い待遇で迎える家があっても、そちらに移るようなことがあってはならないということであり、伝道は物質を得るためのものではないと戒められているのである。また、足の塵を払うのは、異教の汚れを聖なる地に入れないということであり、拒否する者は受け入れないという神の強い意志を表す手段として象徴的な行為であった。信仰者にもそのことは問われていることであり、神以外で自分が頼っているものを捨てる、死なせることにより新しい私になって信仰者として生きることへと招かれているのである。
 厳しい命令である。しかしそれを伝えるだけではない。福音のため出掛けなさいとイエスは押し出してくださる。さあ、恐れないで、福音を携え、福音を述べ伝えに出かけて行きなさい。何より、福音自身に力があるのだからと。
20150809 この物語の直前の聖書の箇所では、イエスは故郷で受け入れられなかった。そのために教会は異邦社会へ出ていって、福音宣教をすることになったという事情もある。ユダヤ人には拒否され、異邦社会で受け入れられたという初期の教会の経験は、イエスご自身が経験されたことなのだとマルコは述べたいのであろう。異教社会の私たちの教会もまた同じ。挫けず宣教に携わっていこう。

« 被爆伝承者 | トップページ | あれから »

説教要旨」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く

コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。

(ウェブ上には掲載しません)

« 被爆伝承者 | トップページ | あれから »