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2015年8月16日 (日)

五つのパンと二匹の魚

 (マルコ6:30-44,エフェソ2:11-22,エレミヤ23:1-6)
 マルコ福音書には、群衆に囲まれるイエスの姿がたびたび出てくる。今日の日課にも群衆に囲まれるが、その群衆という存在が大きな役割を果たすことになる。すなわち、飼い主のいない羊のような彼らの有様をイエスが見て、養ってくださる奇蹟が行われるからである。
 覚えているであろう、長血を患った女性のこと。その時イエスは「あなたの信仰があなたを救った」と言われた。神を求める心、神に信頼する心、信仰によって救いの出来事が起こった。今日の群衆はどうであろう。彼らは熱心にイエスを追い求めた。一行より先に着いてしまったことからも分かる。しかし彼らの熱意の根本にあるのは信仰ではなく、「飼い主のいない羊のような姿」とイエスがご覧になったように、途方もない困窮状態であり、藁をもすがる思いでイエスの所に来ているだけである。その彼らをイエスは正しく受け止めてくださった。だから、彼らは遅くまでイエスのもとを離れようとしなかったのだ。
 彼らに向けられたイエスの憐れみが奇蹟の始まりであり、神ご自身が働かれるのに、弟子たちはそれを理解しなかった。イエスが「あなたがたが与えなさい。」と言うと、彼らは「私たちが買ってきて、食べさせるのですか?」と問い返しており、もし信頼しているなら、「どうやって食べさせますか?」と答えたであろう。しかしイエスの命令は弟子たちには現実的でなかったのである。
 彼らが持っていた食べ物は五つのパンと二匹の魚。イエスが祝福し、弟子たちが配ると奇蹟が起きた。皆が満腹し、残ったもので12の籠が一杯になったのである。エリヤはひとりの寡婦とその子どもが一握りの粉と少量の油で長期間パンを作って食べることができるようにし(列王上17:7~)、エリシャはわずかなパンと穀物で百人の人を満腹させた(列王下4:42~)。しかしイエスの奇蹟は、それらに比べてけた外れに大きい。皆がもっていたものを差し出したという合理的な解釈もあるが、それならば「分かち合いの精神」でしかない。大勢の群衆をイエスが豊かに養ってくださったという事実が大切なのである。
20150816 イエスは良い羊飼いと言われるが、大勢の人を食べさせることで、良い羊飼いであることを実証する。詩篇23編では「主は私を緑の牧場に伏させ」と言われているが、青草の上に座らされ食事で満腹した時に、群衆は詩篇の言葉の成就を体験したのである。それこそが、本当の奇蹟にほかならない。イエスが与えてくださる恵みの豊かさを心に刻み、日々歩んでいこう。

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