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2015年7月26日 (日)

汗かき

 日照不足の日々が一転、猛暑の日々が続く七月。ここにきて冷夏の予報が取り消され、八月も猛暑が続くと変更された。だからといって一日24時間は変わる訳でもなく、予報に心騒がせることなく一日一日を過ごすだけだ。だが、冷夏と猛暑では私の皮膚には大きな違いが生じる。汗っかきな私の手首に、猛暑になると酷いアセモ(汗疹)ができるのだ。恐らく手首が一番汗を出しているからだろうが、気を付けて拭っていても、暑さが厳しい夏は必ず「コンニチワ」と表れてくる。死ぬまで付き合うしかないと諦めているものの、「出来ればアセモにならない程度の暑さの夏を」と今年も願う私である。
 恒温動物である人間は内臓などを37度に保つ必要がある。体内で生産された熱は、皮膚や筋肉が汗をかくことで放出され、体温が一定に保たれる。汗は体温調節という大切な役目を担っているのである。ところで汗は汗腺から出るが、汗腺にも2種類あって、アポクリン腺とエクリン腺という。前者は脇の下などにあって、体臭腺ともいわれ臭いを分泌する。後者は体温を一定に保つために全身の皮膚の浅い部分に200~500万個あるが、その数は3才までに決まると言われている。また全てが汗を出すのではなく、汗を出す「能動汗腺」と出さない「不能汗腺」に分けられ、気候によって平均能動汗腺は異なるという。ちなみにロシア人では180万個、日本人230万個、フィリピン人280万個とされている。また能動汗腺は、汗や汚れによって詰まると炎症を起こし、これがアセモとなる。汗腺の数は大人も子どももほぼ同じなので、体表面の小さな子どもは表面積当たりの汗腺の数も多くなり、新陳代謝も活発で汗を沢山かくためにアセモになり易いのである。アセモに悩まされる私の体は「子ども並みに若い」・・・のではなく「ただの汗っかき」に過ぎない。
 最後の晩餐の後、イエスはオリーブ山で祈られた。「イエスは苦しみもだえ、いよいよ切に祈られた。汗が血の滴るように地面に落ちた。」(ルカ22:44)私たちは自分のために汗を流す。しかしイエスは、私たちのために汗を流して祈り、十字架についてくださった。汗っかきな私だが、自分のためだけでなく大切な人のために、私も汗をかけるように祈っていきたい。

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