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2015年7月12日 (日)

助けを知る

(マルコ4:26-34,Ⅱコリ6:1-18,エゼキエル17:22-24)
 マルコによる福音書において、イエスの宣教は「時は満ち、神の国は近づいた。」の言葉によって始められた。神の国とは神が支配される(働かれる)ところであるが、それは目に見えるようなものではないけれども、宣教の当初から、神の国は神ご自身の力によって始まっているものである。本日の福音書の箇所の自ら成長する種のたとえは、そのことを伝えようとしている。
 日課の中に「土はひとりでに」と記されているが、ギリシャ語は「アウトマテー」であり、英語の「オートマティック=自動」という言葉がここから始まっている。私たちの周囲にも自動の機械があふれている。空焚きすると自動的に止まるガスコンロ、美味しく炊き上げる炊飯器、パソコン、プリンターなどなど。素人には不思議な仕組みだが、作った人には決して不思議ではないだろう。そう動くように作ったからである。神の国も私たちの目には「自動的に働くもの」として映り、その仕組みについて私たちには理解できなくとも、神ご自身が働かれているので確かに実りをもたらされるということほかならない。そのことを私たちが受け入れようが受け入れまいが、神は働いておられ、やがて圧倒的な姿で神の国は人々の前に現れてくると、からし種のたとえを通して語られている。
 もう一度最初に述べたことを確認する。「時は満ち、神の国は近づいた。」と宣教が始まったが、どこで始まったか。ガリラヤである。今でこそ、世界地図ではエルサレムもガリラヤも同じ大きさで描かれる。しかし、かつてはそうではなかった。ガリラヤはエルサレムに比べると小さな場所、ユダヤ人の世界でも辺境の地であって、世界の片隅で起こった出来事、それが「神の国」であった。しかしそれが、やがて世界のどんな出来事よりも大きな意味をもつものとなったのである。
 「からしだね」が、実際にはどのようなものであるかはっきりしていない。現在、からしだねと紹介されているものは、中南米を原産とする「キダチタバコ」である。イエスの時代にはイスラエルにはなかったけれども、種子は小さくとも成長が早く大きくなることなど、イエスの譬え話にマッチする。この種が広く伝えられ広がっていくように、弟子たちの働きも、神が働いてくださるから、神によって完成へと導かれていく。かつてルターが語ったように、「我々がこうしている間にも、神のみ業はどんどん進んでいる」のである。神の助けを信じて、私たちに出来ることを精一杯なしていきましょう。

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