« 主のまなざし | トップページ | にんじゃになりたい »

2015年7月 5日 (日)

うるう秒

 7月1日午前9時直前に1秒追加の時間調整が行われた。1972年に開始されたこの時間調整は、今回で26回目を数える。ということは「私が中学2年の時よりも一年が26秒も長くなっている」ということになるが、私の寿命が延びた訳ではないし、生活に支障が生じた訳でもない。何故こんなことが必要かというと、一日の長さが違うからである。しかも違いが一定という訳でもないらしく、わずかに短い日もあったりするという。これ以上は私も理解不可能なので記せないが、遅い早いといっても0.001秒、0.3秒といわれる瞬きの300分の1のことに過ぎない。ただ、精密機器への影響が心配されたが、事件事故になることもなく無事に1秒追加できたようだ。
 地球の自転に合わせて4年に1度「閏月」がある。だが100で割れる年の閏月はないが400で割れる年は閏月とすると決められている。一方、1日の長さを調整するのは「閏秒」を用いるが、これは決まった法則はなく、6月末日か12月末日に調整される。私たちの生命を育む地球だが、その生業(ナリワイ)を100%掌握する技術は、人間にはないということであろうか。完璧な天気予報はないし、火山活動や天変地異を100%予知することなど不可能ということにほかならない。だから古の人が、人間の力では変えられない地球の動きを理解し調整することを表現するのに余分を意味する「閏」を充てたのも、人の力には有り余るという意味を込めたのかもしれない。
 さて、私たちにとって最も大切な「聖書」の下になる言葉は「バイブル」である。ギリシャ語の「ビブリオン」に由来し、書物を意味し、聖書を表す時は定冠詞を付けて「ザ・バイブル」ということから、まさに書物の中の書物といわれるのである。キリスト教では「カノン(正典)」ともいい、尺度・基準というギリシャ語がもとになっており、そのことから「聖書はキリスト教の信仰内容を正しく理解し伝えるための基準」と受け止めることができる。(聖書協会HPより)「聖書」という標記は「聖さ」のイメージが前面に出てしまうが、もともとは信仰について正しく伝える「正書(カノン)」というのが良かったのではないか。あるいは人の手に余る書「閏書」と呼ぶことで、神への畏敬の念を強めることもあって良いかもしれない。まぁ、どのような呼び方であろうと、「聖書」は私の人生にとってかけがえのない書物には違いない。

« 主のまなざし | トップページ | にんじゃになりたい »

真間川のほとりで」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く

コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。

(ウェブ上には掲載しません)

« 主のまなざし | トップページ | にんじゃになりたい »