« 新しく生まれる | トップページ | イエスはとなり人 »

2015年6月 7日 (日)

心は込めない、でも大事!

 岐阜市に図書館を備えた総合メディア施設が、今年の7月に開設される。それを記念して一つのイベントが企画された。題して「本deドミノ?」という。ドミノの替わりに古本を使ってドミノ倒しをやり、本ドミノ世界一の記録を作ろうという企画。これまでの記録は今年の1月28日にイギリスで5318冊が最高だが、今回は一万冊でギネス記録に挑戦しようとしているという。使用する古本は市民に提供してもらい、企画が終われば売却し図書購入費として市に寄付するという。得られる資金はともかくとして、一人でも本に関心をもってもらえればと願って行われる。
 この企画を聞いた人から「本を粗末にしている」と批判する声が挙がっているという。あるインターネットサイトで賛否のアンケートをとったところ、現時点では賛成が33%、反対55%、分からない11%となっている。欧米の反応は9割が賛成だと聞くが、何故そんなに違うのだろう。私見だが、「自分だけの食器をもつ日本人とどの食器もみんなで使う欧米人」の違いではないかと思う。石や木に神を宿らせご神体として崇める信仰に触れつつ生きている私たちは、ごく普通に物質に心を刷り込ませてしまうことが多くある。だから「本」とはいえ、書いた人の思いとか読んだ時の思い出などの気持ちを本に反映させてしまうがために、「本を粗末にするなんて」という批判になるのではなかろうか。もちろんこのことは「良し悪し」の問題ではなく、人の感覚の問題に留めておくことであり、古本ドミノに関して言えば、「捨てきれなかった本を引き取ってもらって良かった」と喜ぶ人と「本について関心をもって欲しい」と願っていた人たちの思いが合致した楽しい企画だと私は思うが・・・。
 アテネに出掛けたパウロは、様々な神が祀られ拝まれているのを見て、人々に語り掛けた。「この神は天地の主ですから、手で造った神殿などにはお住みになりません。 (中略)神である方を、人間の技や考えで造った金、銀、石などの像と同じものと考えてはなりません。」(使徒17:24,29)物質に心を刷り込ませやすい私たちも気を付けなければならないと思う。ただし、拝むことはしないが、大切なものとして大事にするということは忘れてならないことである。
 7月12日「本ドミノ世界一」の記録が達成されると良いけど。

« 新しく生まれる | トップページ | イエスはとなり人 »

真間川のほとりで」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く

コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。

(ウェブ上には掲載しません)

« 新しく生まれる | トップページ | イエスはとなり人 »