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2015年6月28日 (日)

五月晴れ

 梅雨に入り、どんよりとした日々が続いている。九州地方ではこの一か月で平均年間雨量に迫るほどの豪雨となっているようである。シラス台地が多くを占める地方、私も中学生まで住んでいたこともあって、豪雨のニュースを見ながら無事を祈る毎日である。梅雨の時期にほどほどの雨量がなければ、夏の水不足、作物の不作に直結するだけに、梅雨は必要とは分かっているが、梅雨空続きでは気持ちも滅入ろうというもの。そんな梅雨の合間の青空は、まさに砂漠のオアシス、実に爽やか(直接のオアシス体験はないので想像です、お許しあれ。)に感じるものである。
 梅雨の晴れ間を「五月晴れ」という。私は「5月の晴れ間」を言うのかと思い込んでいた。「『五月』(サツキ)は旧暦の呼称。旧暦5月(今の6月)が梅雨の頃にあたるところから梅雨の晴れ間を『五月晴れ』と呼んだ。時がたつにつれ誤って『新暦の5月の晴れ』の意味でも使われるようになり、この御用が定着した。俳句の季語としては、もとの意味で使われることが多く、陽暦五月の快晴を五月晴れというのは誤用と明記してある歳時記もある。」(NHK放送文化研究所HPより)語源を考えれば、旧暦の時代にできた言葉だからと理解できるものの、梅雨の晴れ間ではどうもしっくり来ない気がする。1世紀か2世紀の後には「5月の晴れ間のことを言い、古くは梅雨の晴れ間の意味にも用いられた」などと辞書に載るようになるのかもしれない。言葉はその時代や思想を表すものなのだから、その時代の人にしっくり来る意味で用いられるのが良いのではないだろうか。
 創世記からヨハネ黙示録まで、執筆された時期を考えてみると一千年にも亘る。(日本で考えれば平安時代から現代の間に執筆されたものが一冊の本になっているようなもの。)だから意味も違えば用い方も違うのは当然だろう。それでも1千年の隔たりがあるものが一冊の書物に出来るのは、全てが神について書かれているからにほかならない。神こそ永遠にして唯一の存在なのである。
 ちなみに、「梅雨の合間の青空は爽やか」と書いたけれども、これは間違い、「爽やか」は秋の季語だからである。しかし風情のない私は、季節に関係なく爽やかな青空と使ってしまうのだが・・・。

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