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2015年6月14日 (日)

我ここに立つ

 神学生の時に繰り返し聞かされ、卒業後も事ある毎に反復してきた言葉がある。「我ここに立つ」である。これは1521年ヴォルムス帝国議会において、ルターが自説の撤回を求められた時、一夜の熟慮の後、聖書を示しつつ語った言葉だと言われている。議会が主張することでもなく、自分の思いでもなく、もちろんローマ教皇が命令したことでもなく、聖書に書かれていることこそ自分が立つべきところであり、信じ従うべきところだと強く語ったのである。そんなルターのことを歴史では宗教改革者と呼ぶが、彼は決して改革者ではない。むしろ聖書に忠実な原理主義者であったと呼ぶべきであろう。だから私たちルター派の教会は、ルターに返るのではなく、聖書に返ることをこそ最も大切にすべきとするのである。もちろん、現代のキリスト教会はすべてそうだとは思うのだが。
 「現在の憲法をいかに法案に適用させていけばいいのか、という議論を踏まえて閣議決定を行った」。安全保障関連法案を審議する衆院特別委員会で、担当の大臣はそのように答弁した。(翌日、それは撤回されたが、現在行われている安全保障関連法案の実態を良く示していると私には思えてならないが。)言うまでもなく、憲法は日本の最高法規であり、憲法「に」法律を適用させなければならないのは当然である。ところがいま、政府の方針を最上位に置き、それに合わせて法律をつくることで、実質的に憲法を変えてしまおうというまさかの事態が進行しているのだ。(6月9日朝日新聞社説参照)
 教会は様々な考え方を受容してきた。しかし「イエスは人であって神ではない」、「三位一体は否定する」などと主張するグループが初期の頃に起こり、教会(カトリック)はその意見に対して聖書に立ち帰り議論し、彼らを「異端」として退けた。正しい選択であったと思う。にもかかわらず、長い年月の後、その教会も聖書(神)ではなく人(教皇)の思いを主にするという過ちを犯してしまうのである。だからいつも返るべきは「聖書」と肝に命じなければと思う。
 「憲法に適合しているか」という原理原則を大事にする政府であって欲しい。「急がば回れ」と古の賢人も言っているではないか!!

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